死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

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  • 朝日出版社 (2008年1月10日発売)
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日本では現在80%以上に人が存置に賛成との世論調査もあり、死刑制度が簡単になくなるような状況にはないようだ。
しかし、死刑制度を維持するべきという考えそのものは、論理的には破綻していると思う。犯罪抑止力もないし、死刑囚の「人権」の面からもいっても世界的な潮流に反している。それでも日本に死刑制度が存在するのは、森氏が言うように、日本人の「情緒」がそれを許すからである。「人殺しに生きる資格はない」、「被害者感情を考えたら、命を持って償ってもらうしかない」とか、そういう感情。
日本の死刑制度はかなり不思議だ。一般的には、死刑そのものがどういうものであるかはまったく知らされず、誰が処刑されたかも、死刑囚の処遇もわからず、とりあえず存在だけしてる制度。被害者の遺族が処刑を見ることも無く、誰にも知らせずに死刑囚を処刑するなら、死を持って罰を与えるという本来の意義はどこにいったんだか?と思う。
しかも、死刑について公に議論することはとても難しい。死刑制度に反対する議員連盟も、数はわりと多いのにひっそりやってるらしいし、その手の民間運動はいつも白い目で見られる。この傾向は、オウム事件や残酷な少年犯罪を経て年々強まっているようだ。
制度として存在しているということは、国民にも必要とされてるということなどで、存在意義など語る意味なし!というところか。制度として議論不可能というところは、天皇制と似ている。

本を読み終わって、日本の死刑制度は、「遠山の金さん」の最後の場面に良く似ていると思った。金さん(司法)が、弱きもの(被害者と遺族)に代わって、「死罪とせよ!」と言うアレ。首切りはもちろん出てこない。テレビだから当然。視聴者(国民)はそれを見て、「ああよかった、これで可哀想な主人公は救われるね、悪い奴もこの世からいなくなるね、めでたしめでたし!」と喜ぶんである。
実際、日本の死刑制度を支える国民感情は、この程度の覚悟の無さにたどり着いてると思う。

さて、この本の森氏は、世論の「情緒」に対して、自分も情緒を持ち出して対抗しているようだけど(本人は情緒ではないと書いているが)、どこまでいっても水掛け論で、結局日本の死刑制度は変わらないんだろうなあ・・・という思いが残った。
死刑のない国(カナダ)で暮らしていると、本当に、死刑存続の意味が理解できない。日本は(アメリカも中国も)なんて野蛮な国なんだろう、こういう国には住みたくないなあと思ってしまう(帰りたいのはやまやまだが・・・)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 死刑
感想投稿日 : 2012年10月29日
読了日 : -
本棚登録日 : 2012年10月29日

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