虞美人草 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1951年10月29日発売)
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感想 : 137

リーダーの本棚技術経営のあり方学ぶ
科学技術振興機構理事長 中村道治氏

2015/7/19付日本経済新聞 朝刊

  尊敬する物理学者の自伝を常に手元に置き、技術経営のヒントを得ている。











 大学で原子核物理を学んだので物理学者の自伝的な本に興味があります。超一流の人が書いたものは物理学の話のレベルが高いだけでなく、社会とのかかわりや研究所の運営などの深い考察が記されたものが多いように思います。1972~73年、勤めていた日立製作所の制度で米カリフォルニア工科大学に留学し、研究の進め方や厳しさを学びました。帰国後、中央研究所で部長職に就き、組織運営などについて考えていた頃に、旧ソ連の物理学者、ピョートル・カピッツァの講演などを集めた『科学・人間・組織』の広告が目に留まって購入しました。


 カピッツァが英国のキャベンディッシュ研究所にいた頃に指導を受けた(原子核物理学が専門のノーベル賞受賞者)ラザフォードから「君は足踏みしているね。結論はいつ出るのか」といつも言われていたエピソードが出てきます。カピッツァは厳しさを感じたものの、ラザフォードは励ましのつもりで、若手の独自性、積極性、個性を伸ばそうという意識が強かったと書かれているのを読み、雰囲気がカリフォルニア工科大と似ていると感じました。


 カピッツァは休暇中に旧ソ連で拘束され英国に戻れなくなりましたが、低温物理学で業績をあげノーベル物理学賞を受賞しました。この本で一番教えられたのはメンター、つまり師の大切さです。日立の中央研究所でも現場を大切にし、一人ひとりの研究者の声を聞くよう心がけました。さらに、日本流のチームワークを大切にし、高水準の研究を製品に結びつけていけば海外にも勝る強みを発揮できると確信しました。


 世の中を変える大きな成果を出す研究には20~30年かかります。科学技術振興機構などが手掛ける研究も同じです。優秀な人材が集まり、挑戦できる環境を維持することこそが技術経営だと思うに至りました。1つの研究分野を立ち上げるには10年単位の時間がかかりますが、組織が弱るには1日あれば十分です。実はキャベンディッシュ研究所は90年代以降、ノーベル賞受賞者が出なくなっているようです。海外から多くの研究者が来て、独創的な研究のるつぼのようだった環境が失われたのが理由だと聞いたことがあります。


  科学技術が細分化しすぎ、専門分野に特化した研究者が増えている最近の傾向が気になる。


 (ミクロの世界の物理法則である)量子力学の立ち上げにもっとも貢献したウェルナー・ハイゼンベルクの『部分と全体』は、タイトルにひかれて買いました。原子論や量子力学の誕生の過程が生々しく描かれていますが、それだけでなく自分自身と周囲、科学と社会、科学と行政などの関係も実に深く洞察しています。科学哲学の書ともいえます。


 人間は細胞が集まって器官ができ、それが協力しあって全体としての恒常性を保っています。一方、科学技術は進歩を続けるなかで、どんどん細分化されてきました。個々の計算や実験、理論と、背景にある物理学、生化学、天文学、さらには人文科学、社会科学を関係づけて考えることの大切さがタイトルには込められています。当時の指導者たちの、物事を考えるスケールの大きさに触れ、視野が広がりました。


  科学技術を離れ、落ち着きたい時には小説を手に取る。


 夏目漱石の小説は高校時代から繰り返し読んでおり、おそらく全作を10回は読み返しています。今でも半年くらい仕事で突っ走って、疲労感が出たときなどに息抜きに手にします。休みの日に、家でゆったりとした気持ちで読むことが多いですね。なかでも気に入っているのは『明暗』で、人間のエゴ、生き方などについて考えさせられます。深刻さはなく、言葉がわかりやすく、すっと頭に入ります。『虞美人草』も好きで、夢かうつつかわからないような世界で遊ばせてくれます。


 でも、仕事以外の時もやはり科学技術関係の本が気になります。先日は吉本隆明の『「反原発」異論』に目を通しました。人間は科学技術を前進させる動物で、結果として核エネルギーを使うまでになった。発達した科学を後戻りさせるのは人間をやめること。どう使うかに知恵を絞るべきだ――。主張のすべてに共感するわけではないが、科学をよく知ったうえで書いていると感じました。


(聞き手は編集委員 安藤淳)






【私の読書遍歴】




《座右の書》


『科学・人間・組織』(カピッツァ著、金光不二夫訳、みすず書房)


《その他愛読書など》


(1)『部分と全体』(W・ハイゼンベルク著、山崎和夫訳、みすず書房)。序文はノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹氏が寄せた。繰り返し読んでいるが、まだすべてを理解できてはいない。


(2)『宇宙をかき乱すべきか』(上・下、F・ダイソン著、鎮目恭夫訳、ちくま学芸文庫)。物理学の伝道師とも呼ばれ、原爆を開発したマンハッタン計画で知られるオッペンハイマーらの近くで研究していた著者が、科学と社会の関係、原子力産業が抱える問題などを論じる。


(3)『明暗』(夏目漱石著、新潮文庫)。連載中に著者が病没したため未刊となった長編。


(4)『虞美人草』(同上)。漱石にとって初めての新聞連載小説。


(5)『「反原発」異論』(吉本隆明著、論創社)東日本大震災以後と、以前の2部構成。対談なども収めている。

読書状況:積読 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年7月20日
本棚登録日 : 2015年7月20日

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