この本は著者の永田和宏さんがおっしゃるには作歌のヒントであって作歌の指南書ではないそうです。
この本は最初、図書館で借りていたのですが、買って手元に置きたくなり購入しました。
作歌の上達は歌の<読み>から
これは耳の痛い言葉でした。
私は歌を読むのが不得手です。わかりやすい歌しかわかりません。もっとたくさん歌を読んで勉強したいと思いました。
もうひとつ大事なこと
歌では自分のいちばん言いたいことを敢えて言わない。
というのも私は言いたいことしか詠んでいないのでこれからはよく考えようと思いました。
以下、自分の為のメモです。
歌の素材
○もっと日常のなんでもない事物、なんでもない風景をおもしろがってみてはどうだろうか。
人が気がつかないようなさりげない物をおもしろがってみる。
○言っても言わなくてもいいようなことを言うのも詩の表現である→どこかでおかしさを誘う
○歌は人が気がつかないような「どうでもいい」ことに気づくかどうか。
○芸術写真ではなく、普通のカメラで撮ったような事物・光景・人が気づきもしないような、そんななんでもないモノにもっと注意深い目を注いでみたい。
発見の条件
佐佐木幸綱さんの「常識を捨てて発見せよ」は作歌の基本中の基本。
そしてつけ加えるなら発見は、目にした対象の発見ではないのです。そのように常識を離れてものを見ることのできる「自分の発見」「私の再発見」なのです。
小さな具体性の大切さ
○大きな光景や、感動的な場面を忠実に歌おうとするより、できるだけ小さな発見に固執することのほうが、初心者にはいい歌が作れることもあるようです。
○歌では、小さな具体が百行を費やしても表現しきれないだけの感情を、なにより雄弁に語ってくれる。
形容詞で説明しない
○選歌や歌会などの場にあっては「悲しい」とか「寂しい」とかの語があると、ほとんどの場合は採ってもらえない。
○言葉で説明すればわかるようなことは歌にする必要はないのです。
「写生」とは選択である
○写生という理念の根本は、何を詠わないかというその苦しい選択にかかっていると思う。
○言葉を選び単純化を心がけること。
どれだけ多く言うかではなく、どれだけ省略できるか、省けない重点は何かを見定めよ。
○枕詞は意識的にはなんらの寄与もしない。
代わりに、韻律を整え、さらに、歌が意味の呪縛から解き放たれるためにも機能している。枕詞は単純化を追求するひとつの手段。
嘘から出たまこと
○事実を少々嘘があっても、それが自分の表現したいところにぴったりであれば、必ずしも事実を最優先させる必要はない。むしろ嘘としての表現からはじめて見えてくる真実も時としてあり得る。
画面の隅に
○機会詠と言われるものは、作者が<直接に>遭遇した事件や社会事象を歌うところに意味がありました。
○第一はテレビや新聞を見たり読んだりするとき、いかにして事件をその枠組みから遠ざかって自分本来の日常的な視点を確保できるかという問題。
○第二は、画面の中心を見ずに、いったんは、画面の隅をみるということが大事。
○歴史的事件を当時の庶民大衆がどのように捉えていたかという点は、短歌以外ではなかなか残らない。
ユーモアのある歌・笑える歌
○詩歌と、笑い、ユーモアは元来相容れないものと考えられがちではなかったでしょうか。
がちがちになりがちな私たちの感性を「ほぐすもの」としての笑いやユーモアを大切にしたいものです。
形式を使いこなす
○結句の力ーオチをつけない。
○結句で理屈や辻褄をあわせようと思わずに、ふっと思いついたようなフレーズを思い切って持ってきても、詩形が作者のそのわがままを救ってくれる。
自分で理屈をつけたり、辻褄をあわせて歌を小さく窮屈にする必要はまったくなく、もっと自由に遊ばせてやってもいいのです。
○「結句でまとめようとせずに、ジャンプせよ」
倒置法と体言止め
○倒置法と体言止め、どちらも作者の意図を明確にわかってもらうには効果的な方法であり、うまくいけば印象がぐんと濃くなります。しかし、どんな方法にも、楯の二面性があるように、これらも下手に使うと歌の品位が低く感じられ、いじましいものになりかねません。
以上第二章中程まで、以下省略。
- 感想投稿日 : 2023年8月12日
- 読了日 : 2023年8月12日
- 本棚登録日 : 2023年7月5日
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