カント入門 (ちくま新書 29)

著者 :
  • 筑摩書房 (1995年5月20日発売)
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本棚登録 : 1284
感想 : 84
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哲学初心者の立場から書評を書きます。そもそもカントの存在を知ったのは、本書では取り上げられていないコスモポリタン、あるいは永遠平和という概念におけるカントの貢献でした。そこからカントに対する関心が高まり、じゃあ勉強してみようと思って本書を手に取りました。全体的な印象ですが、「ギリギリ」入門書と呼べるレベルで、そこに著者の並々ならぬ苦労を感じました。内容は非常に興味深く読みました。「血の通ったカント」というキーワードがありますが、まさにカントの人間像までが浮かび上がってきて面白かったです。また本書を通じてカントの哲学についてほんの少しだけ理解が出来た気がしますが、なにか人間礼賛的なポジティブな雰囲気を感じたのは私だけでしょうか。

本書を読んでいて何度か仏教もしくは密教との共通性を感じました。「自由と道徳法則」の章で紹介されていたカントの「善意志」という概念。カントが唯一絶対として認めた善意志は、絶対的全体にもかかわらず人間が到達可能でもあるという。これなどは仏教で言うところの「仏性」に近いのではないでしょうか。真言密教的に言えば「大日如来」がそれにあたるでしょう。密教では、大日如来という絶対的な真理(法)が、色々な形になって世の中に(仮象として)あらわれます。そして大日如来を法身(ほっしん)と呼ぶのに対して、ゴータマ・シッダルタのように真理(法)を体現した存在は応身(おうじん)と呼ばれます。カントについても、本書の宗教論(第7章)では、キリスト教におけるイエス・キリストのような外部の存在は理念そのものではなく、キリスト教の理念は「われわれの理性の内に存在する」と述べています。これなども大乗仏教的に解釈すれば、キリスト教の理念そのものを法身とし、イエス・キリストを応身とみなしていると言えるのではないでしょうか。変な言い方になりますが、「小乗キリスト教」を「大乗キリスト教」に昇華させようとした試み、と言えるかもしれません。そのほかにも密教における理と智(胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅)、さらには五智の中の平等性智(共通点を見いだす智恵)と妙観察智(相違点を見いだす智恵)などを連想させるような記述もあり、非常に興味深く拝読しました。カントが空海と対談したらさぞかし面白いんじゃないかと勝手に妄想してしまいました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年4月30日
読了日 : 2017年6月29日
本棚登録日 : 2023年4月30日

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