文庫 シッダールタ (草思社文庫 ヘ 1-4)

  • 草思社 (2014年10月2日発売)
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「致虚極、守靜篤。萬物並作、吾以觀其復。
夫物芸芸、各復歸其根。歸根曰靜。
是謂復命。復命曰常。知常曰明。不知常、妄作凶。
知常容。容乃公。公乃王。王乃天。
天乃道。道乃久。沒身不殆。」

   道徳経16章

これはかなり苦手な物語。人間としての成熟というか完熟というか、より高次で完全な何かへ至ろうとする物語を取り込む場所が、私の中にないからか、ただつらつら読んで終ってしまいました。

己の内奥に導き手を見出すあたりで『デミアン』や、聖的で精神的な世界から世俗的で肉体的な世界を経て、それらを越えた新たな世界に至る構成に『知と愛』のことが浮かびましたが、この作品が書かれたのはこの2作の間であるそうで、ヘッセを読む上では、重要な作品ではないかと思われます。

タイトルから、私はてっきりお釈迦様であるシッダールタの物語、ヘッセ版ブッダだと思って手にしたのですが、なんと別人の話でした。悟りへいたる経緯もヘッセ流なら、悟りのかたちもヘッセ流なシッダールタの物語です。

バラモンの子として生まれた美しいシッダールタは、非常に聡明で優秀でしたが、現状に満足できず、完全な状態へいたる道を求めて、親友のゴーヴィンダとともに沙門となり、苦行の道を歩みます。しかしそれでも、求めるものは得られず、次は、実際に悟りを得た人物、ガウタマ仏陀のところへ行くことにしました。仏陀の素晴らしさ、その教えの尊さは理解できたものの、そこでシッダールタは、「何人も教えによって解脱を得られない」ということを理解します。得たいものが教えによって得られるものではないと気付いたシッダールタは、仏陀に帰依した親友を残し、仏陀のもとを去ります。
これまでの自分の姿勢の誤り、不完全さに気付き、新たに生まれなおしたような状態のシッダールタは、今まで知ることの無かったさまざまなことを学んでゆきます。遊女のカマラーからは性愛の世界を、商人のカーマスワーミからは世俗の苦楽を、俗事に対して達観できていたような自分自身が崩れてしまうまで。これは回り道ではなく、必要なステップなのでした。
珠を得るためには、珠の知識も、それを得たいという意思も捨て去らなければならないのです。

こうして「思考と官能」、両方と戯れ終えたシッダールタは、聖的、精神的世界と俗世的、肉体的世界との間に存在した川で出会った渡し守のもとへ向かいます。そこで、この渡し守ヴァースデーヴァと目の前を流れる河から学び、安らぎを得たかと思ったところで、最後の苦しみがやってきます。それはカマラーが産んだ我が子である、シッダールタ。仏陀が我が子にラーフラ(障碍)と名づけちゃうのも納得な、苦悩させられぶり。
でもこれは試練や障碍ではありません。我が子への愛ゆえの苦しみを乗り越えるのではなく、よくよく苦しみ、その苦しみのすべてをヴァースデーヴァに傾聴してもらったことで、新しいステージが開けたのです。
お釈迦様であるシッダールタは試練を乗り越え、解脱して生にまつわる諸々の苦を超克されたわけですが、このシッダールタは、生の諸々全てを受け入れ、そこに溶け込んでゆくような感じです。

違う道を経たものの、終盤シッダールタの顔に浮かんでいる微笑みは、お釈迦様のそれとまったく同じものなのでした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 海外小説
感想投稿日 : 2014年10月27日
読了日 : 2014年10月27日
本棚登録日 : 2014年10月12日

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