生きづらい。世の中が窮屈だ。その原因は国の政策のせいであり、市場のシステムのせいである。私たちを支配する巨大なシステムと私たちの暮らしには大きな隔たりがあり、そうしたシステムが変わらない限り私たちにはどうすることもできない。
・・・本当にそうですか?という問いかけをしているのが、本書だ。
「社会」と聞くと、まるで自分たちの手の届かない大きな存在のように思えるけど、本当は人やモノや言葉が行き来する「関係性」のことだと言う。つまり、私とあなたという二人が入ればそこに「社会」は生まれ得る。
市場も、国家も、世界も、結局はその関係性の延長であり、すべては連結しあっている。「国家権力」や「市場原理」という言葉に惑わされているだけで、本当はそれぞれ依存し合っていて、その依存の輪の中に「わたし」もいるのだ。まずはそれを読者に理解してもらうことに本書の大半は割かれている。
私たちが目指すべき「よりよい世界」を規定するとしたらどんな世界か?それはきっと、ひとりひとりの努力が適切に評価され、結果が出ずとも穏やかに暮らせ、誰もが好きなことに没頭できる世界。つまりは「公平=フェア」な世界だろう、と著者は言う。
つまりはアンフェアを改善しバランスを取り戻すことが求められているわけであり、そこには国の政策を根底からひっくり返すような革命的な手法が必ずしも求められているわけではないのである。
では私たちにできることは何なのか?その鍵がタイトルにもなっている「うしろめたさ」だ。
電車で自分が座っているのに対しお年寄りが立っている時。知人から身に余る贈り物をもらってしまった時。被災地のつらい生活をTVで見た時。
そうした自分と他者との間に格差を感じた時、人は「うしろめたさ」を覚える。それは「公平さへの欲求」と言うこともできる。
けれど私たちはそうした「うしろめたさ」を、いろいろな理由をつけてなかったことにしがちなわけで。しょうがないよね。どうしようもないし。自分には関係ないし。国の問題だよね。
例えば、Youtubeで違法アップロード動画を観る人は、小さなうしろめたさをどこかでなかったことにしてないだろうか。
そうやって自分を正当化することに、まず自覚的にならなければいけない。そして「うしろめたさ(=公平さへの欲求)」に素直に従うこと。例えばそれが震災なら、ボランティアをする。義援金をおくる。他にもいろいろあるだろう。
そうしたことが「わたしとあなた」という小さな社会をフェアにし、市場をフェアにし、国家をフェアにし、世界をフェアにしていく。僕らにできる「生きづらさ」を変える最大のアクションなのだ。
- 感想投稿日 : 2021年1月7日
- 読了日 : 2021年1月6日
- 本棚登録日 : 2021年1月6日
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