科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎 (2011年6月29日発売)
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本棚登録 : 1988
感想 : 283
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本書は「科学的とはどういう意味か?」というタイトルではあるが、この点を深く追及するというよりは、この問いを起点として水平的に問いをずらして展開し、「文系と理系」「科学と非科学」と言った具合に対立構造を強調しつつ、科学の優位性を強調する仕上がりとなっている。

「科学的とはどういう意味か」という問いについては、その結論もその過程もこの本の数分の一程度のボリュームで済むと思われる扱いになっており、タイトルを見直した方が良いと感じる。中身も重複している部分があったり、順序がバラバラだったりで、体系的にまとまっているとは言えない。正直言って書きあがったエッセイがあまり編集されることなくそのまま書籍化された印象すら受けてしまったのは残念だ。事実筆者自身が後書きにて「本書は3日間、計12時間で執筆した」と認めている。

その他具体的に疑問に思われた点は幾つもあったが、例えば、

1.理系と文系というように二項対立で捉えることの非科学性を指摘しながら、理系が文系より如何に優位であるかにかなりのページが割かれている。(理系は文系を避けないが、文系は理系を理解できないため理系の人を「人間としての心が欠けている」と批判する、文系は理系に醜いコンプレックを抱えている、など)

2.科学の優位性、万能性を強調しすぎているきらいがある。非科学の例として、「神を信じている人」を挙げ、科学は「神の支配からの卒業」と捉えている。発展途上国ならともかく、科学の普及した先進国でさえ神を信じている人が多いことに疑問を呈している。しかし、そもそも科学と宗教はどちらを信じるかといった二項対立的なものではないはずである。筆者の論理でいけば、神を信じるという非科学的な思考をもつ人が多い国ほど、国家レベルでは科学の進歩は停滞し、個人レベルでは不利益を被り、最悪の場合生命の危機に脅かされるはずである。しかし、現在最も科学技術研究の先端をいく国はどこなのか?宗教のような非科学的なものを信じている国は困窮しているのか?神の存在を信じている、有能な科学者の存在はどう捉えればよいのか?
つまりは「科学」と「非科学」という2つのカテゴリで括ってこれらの問題を捉えようとすることに無理があると思うのだ。

科学は、「印象や直感をできるだけ排除し、可能な限り客観的に現実を捉えようとする」。その厳格さが「他者による再現」を可能とし、その信頼性を担保する。

だが、あくまで個人的な意見ではあるが、その厳格さによりそぎ落とされたもの、定量化できないもの、印象や直感、その部分にこそ今後の時代を生き抜く上での重要なファクターがあると個人的には思える。科学的な考え方はもちろん重要だが、だからといって厳格な科学的思考にそぐわない考えを「非科学的」とみなし、それを見下して軽視してしまうようでは、それこそ狭量で危険な考え方なのではないか。

今回は思想的な部分での主張が強く、なかなか腑に落ちない所が多かったため、かなり辛口の批評となった。しかし、何かと考えさせられた一冊でもあるし、得たところも非常に多かった。森さんの今後の著作にも期待したい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 科学・テクノロジー
感想投稿日 : 2014年7月17日
読了日 : 2014年7月17日
本棚登録日 : 2014年7月17日

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