アフガニスタンの診療所から
著:中村 哲
ちくま文庫 な 33 1
良書、テレビや新聞が報道する世界と全く別の世界がそこにはありました
2019年にアフガニスタンでお亡くなりになられた中村哲先生が、パキスタンのテジャワールでライ病の治療を始められ、1991年にアフガニスタンで病院を開院されるまでの話です
気になったのは、以下です
・われわれのアジア観はたいていヨーロッパからの借用である
・中央アジアでいえば、カスピ海からペシャワールまで、地図上の国境線ではみえぬひとつの文化圏が存在する
イスラム自体が一種のインターナショナリズムを基調としており、部族的な割拠性は保ちながらも、人々は「イスラム教徒」として同一性を自覚するのが普通であった
彼らにとって、国家とはつけ足しの権威であり、自分の生活を律する秩序とは考えられていないのである
日本人には、この事実がなかなか伝わりにくい
・アフガニスタンのど真ん中をつきぬける巨大な山脈、「ヒンズークッシュ」という名は、「インド人殺し」という物騒な意味である
・人のやりたがらぬことをなせ 人のいやがる所へゆけ
・イスラム住民の伝統を無視した強引な近代的改革は人びとの反発をまねき、各地でイスラム僧がジハードを宣言、反乱は、全国に拡大した
・自分もまた、患者たちとともにうろたえ、汚泥にまみれて生きてゆく、ただの卑しい人間の一人にすぎなかった
ただ一つ確信できたのは、小器用な理屈や技術を身につけてドクター・サーブと尊敬されていても、泣き叫ぶ患者とまったく同じ平面にあるという事実だけであった
・英語は必要最低限度だけ使い、原則として国語のペルシャ語やパシュトゥ語でとおす
外国人に技術協力してもらう場合は、外国人にペルシア語を学んでもらう
英語は奴隷の言葉である、と誇り高い彼らがもらすのは、決して負け惜しみではない
いささか、乱暴で回り道のようでも、こちらのほうが長続きする
・重要な点は、抗議の暴動は政治的にあおられたものではなく、ごく自然発生的はものだったことである
我々は時局がら、意外なはげしさと広がりに不吉なものを感じていた
ペシャワールではほとんど見聞きしなかった外国人への襲撃・誘拐が頻発するようになったのは、その直後であった
・そもそも、伝統的なイスラム社会では、「女性」について外来者がとやかくいうのはタブーである
胸をはだけて歩く女性の権利、や、自然の母性を無視してまで男と肩を並べることが追求される、男女平等主義、こそ、アフガニスタンからみれば異様だとうつる
・太平洋戦争と原爆の犠牲、アジアの民2000万の血の代償で築かれた平和国家「日本」のイメージは失墜し、イスラム民衆の対日感情はいっきに悪化した
対岸の野次馬であるには、事態はあまりに深刻であった
世界に冠たる平和憲法も、「不戦の誓い」も色あせた
・追い詰められた時こそ、ふだんは見えない実態が明らかになる
・電気もない夜の楽しみは、時には旅する客をまじえて食事し、歓談することである
・日本人がかたまるとロクなことはない 訪問者に気をつかうな
・人のために何かしてやるというのはいつわりだ
援助ではなく、ともに生きることだ、それで我々も支えられるのだ
・現地は外国人の活躍の場ではなく、ともにあゆむ協力現場である
・「アフガニスタン」をとおして、むきだしの人間と文明の実態にふれえたことを私たちは感謝している
目次
帰郷―カイバル峠にて
縁―アフガニスタンとのかかわり
アフガニスタン―闘争の歴史と風土
人びととともに―らい病棟の改善と患者たちとのふれあい
戦乱の中で―「アフガニスタン計画」の発足
希望を求めて―アフガニスタン国内活動へ
平和を力へ―ダラエ・ヌール診療所
支援の輪の静かな拡大―協力者たちの苦闘
そして日本は…
あとがき
文庫版あとがき
解説 阿部謹也
ISBN:9784480420534
出版社:筑摩書房
判型:文庫
ページ数:224ページ
定価:740円(本体)
発売日:2005年02月10日第1刷
発売日:2019年12月25日第5刷
- 感想投稿日 : 2024年4月29日
- 本棚登録日 : 2023年7月15日
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