妻子を事故で亡くし、一人生き残った雪籐。そのショックから立ち直れず、仕事ではミスを連発し、生きる意味を見失いカウンセラーを頼る日々だ。そんなある日、雪籐は一人の女性から声をかけられる。「落とし物ですよ」――そう言って差し出された定期を受け取ろうとすると、女性は泣いているではないか。近くの喫茶店でアルバイトをしている大学生だというその女性・天美遥は、物に触れることで記憶を読み取る力を持っていた。その力に感銘を受けた雪籐と、悲しい過去をもつ女性とが、互いに「救い」を求めて行き着く先は――。
貫井徳郎氏と宗教ネタといえば、どうしても『慟哭』を連想するが、同じ宗教でも『慟哭』とはまったく異なる話で、もっといえば本書はミステリでもないのではないかな、と思った。
最初は、妖しげな宗教団体に発展するのだろうと予想した。しかし実際には、雪籐はじめ遥に救われた面々も、そして当の遥も、しごくまっとうでむしろ素晴らしい人たちであると気づく。自分は客観的に見ているのに、彼らを応援したくなるのだ。宗教としてカテゴライズしようとする人は既存の価値観しかもてないのだと、説得されそうになる。組織がだんだん大きくなり、口コミの力がやがてマスコミに伝わってさらに広がり、気づけば雪籐と遥の当初の理想とは離れたところに行きそうになる。その様子はリアリティがあり、すべての宗教がこのように始まっているわけではないだろうが、こういう教団もあるんじゃないかと思わせられるほど。
終盤、どんどん壊れていく雪籐。講演会の後はもうこの人は廃人になるんじゃないか、と思ったが、目が覚めてハッピーエンドで終わってくれたのはよかった。これで雪籐がおかしくなったら、『慟哭』並みの後味の悪さだ。
何を選び、誰とどうやって生きていくのか。自分の幸せはどこにあるのか。本質的なことを考えさせられた。
- 感想投稿日 : 2012年1月20日
- 読了日 : 2012年1月20日
- 本棚登録日 : 2012年1月15日
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