千利休―無言の前衛 (岩波新書 新赤版 104)

著者 :
  • 岩波書店 (1990年1月22日発売)
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(2014.11.19読了)(2005.04.30購入)
【黒田官兵衛とその周辺】
「利休にたずねよ」山本兼一著、を読んだついでに、読もうと思っていたら、赤瀬川さんが亡くなられたという新聞記事が目に入ったので、追悼の意味も込めて読みました。
あとがきに「この本は資料としては何の価値もない。自分なりの利休を書いただけだが、それは利休の思想がこの世に生きているからこそ書けたのだと思う。」と書いているように、利休に興味ある人よりは、赤瀬川さんに興味がある人向きの本といえそうです。
この本を書くきっかけは、野上弥生子著「秀吉と利休」を原作に映画の脚本を書く仕事をしたことということです。
お蔭で、京都や堺へいったり、韓国へいったり、歴史の勉強ができたり、結構いいことがあったようです。茶室の原形は、韓国の両班村にある屋敷にある身分の低い使用人の部屋にあることを発見したとか。茶室の躙り口などはそっくりだったと。
路上観察の話、手洗いの蛇口洗いの話、などは、面白いのですが、それが利休とどう関係するの、というところです。

【目次】
序 お茶の入り口
Ⅰ 楕円の茶室
一 利休へのルート
二 縮小の芸術
三 楕円の茶室
Ⅱ 利休の足跡
一 堺から韓国へ
二 両班村から京都へ
Ⅲ 利休の沈黙
一 お茶の心
二 利休の沈黙
三 「私が死ぬと茶は廃れる」
結び 他力の思想
あとがき
参考文献

●大徳寺(9頁)
利休の建立した大徳寺の山門に、利休の木像が置かれている。利休の立体像としては唯一のものだ。
現在ある木像は二代目で、最初の木像は秀吉の命によって京都堀河の一条戻り橋たもとで磔にされた。(12頁)
●一休(13頁)
一休さんとは、応仁の乱以来荒れ果てていた大徳寺を復興した人なのだ。
●ハリガミ(41頁)
ハリガミというのは駐車禁止に関するもの、犬の糞に関するもの、ゴミの出し方に関するもの、以上の三つが横綱である。
●利休の美意識(45頁)
ズレたもの、歪んだもの、欠けたもの、見捨てられたもの、そういう人々の意識の外側にあって、人びとの恣意を超えて鮮やかなもの、それが彼らの美意識の先端にあったのである。
●懐石料理(60頁)
懐石料理というものは、利休たちの茶の湯の世界が究められていく過程で生まれたものだ。つまりお茶を飲むために、その事前運動として料理を食べる。
●利休の切腹(73頁)
切腹の理由について、昔からさまざまな理由が推察されている。利休木像の不敬、秀吉の唐御陣への批判、利休がガラクタ同様の茶器を不当な高値で売っていたという売僧としての行為、利休が茶頭としてだけでなく秀吉の側近として権力へ近づいたことへの実務官僚石田三成らの嫉妬、利休の娘を秀吉が所望したのに断ったこと、そのほかにもいくつか説はあるだろう。
●オリジナリティ(84頁)
利休はいつも、人まねではない創造力、オリジナリティこそ大切なものだと説いている。
●井戸茶碗(136頁)
日本の茶の湯で珍重されている井戸茶碗とは、日常の中で見捨てられた価値の蘇生したものである。
そもそも井戸茶碗というのは、韓国ではごく日常の飯茶碗である。
●松の木(147頁)
松はそれ自体が、生まれながらにアシンメトリーであり、その形態が日本人のずれや歪みを愛でる美意識を教育してきたのだろう。
●手洗い(179頁)
欧米では小用のあとそう厳密に手を洗うことはない、という話を聞いた。その代り食事の前には必ずきちんと手を洗うという。日本の場合は食事の前だからといって厳密に手を洗うことはない。その代り小用のたびごとに手を洗うのである。
●男性(214頁)
男性一般には遊興はあっても文化はないのだ。

☆関連図書(既読)
「軍師官兵衛(一)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2013.11.30
「軍師官兵衛(二)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2014.03.20
「軍師官兵衛(三)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2014.07.10
「軍師官兵衛(四)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2014.10.10
「軍師の境遇」松本清張著、角川文庫、1987.07.25
「黒田如水」吉川英治著、講談社文庫、1989.11.11
「黒田如水」童門冬二著、小学館文庫、1999.01.01
「信長の棺」加藤廣著、日本経済新聞社、2005.05.24
「集中講義 織田信長」小和田哲男著、新潮文庫、2006.06.01
「秀吉神話をくつがえす」藤田達生著、講談社現代新書、2007.09.20
「利休にたずねよ」山本兼一著、PHP文芸文庫、2010.10.29

著者 赤瀬川原平さん
1937年3月27日、横浜生まれ
子供時代は大分や名古屋で過ごした
武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大)は中退した
20歳ごろから無審査の読売アンデパンダン展などに絵画やゴムチューブを使った「反芸術」的な作品を出展。
1960年、前衛美術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー」の結成に参加した
1963年、千円札模型作品を発表し、後に裁判となる
1963年、故・高松次郎、中西夏之氏と「ハイレッド・センター」を作り、東京五輪のさなかに白衣姿で銀座の路上を清掃するパフォーマンスなどを実施した。
1979年、尾辻克彦の筆名で発表した『肌ざわり』が中央公論新人賞を受賞
1981年、『父が消えた』で芥川賞を受賞
1983年、『雪野』で野間文芸新人賞を受賞
2014年10月26日、敗血症のため死去
画家、作家、路上観察家、エッセイスト、写真家など多彩な顔をもつ
宮武外骨、3D写真、老人力などのブームの火付け役でもある
☆赤瀬川原平の本(既読)
「桜画報大全」赤瀬川原平著、新潮文庫、1985.10.25
「千利休 無言の前衛」赤瀬川原平著、岩波新書、1990.01.22
「猫の宇宙-向島からブータンまで-」赤瀬川原平著、中公文庫、2001.04.25
(2014年11月19日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
利休の創出した佗び・寂びとはどのような世界なのか。冗舌な権力者・秀吉との確執の中から無言の芸術・縮む芸術を考案し、斬新な発想と柔軟な感性で桃山時代を前衛的に生きた芸術家―映画「利休」のシナリオ執筆を契機に、その精神性を現代の諸相の中に浮上させる。ジャンルを超えて活躍する著者が日本文化の秘奥に挑む超エッセイ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 黒田官兵衛とその周辺
感想投稿日 : 2014年11月19日
読了日 : 2014年11月19日
本棚登録日 : 2014年11月17日

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