ア・ルース・ボーイ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1994年5月30日発売)
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本棚登録 : 376
感想 : 40
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(2004.08.12読了)(2002.08.30購入)
日経の連載を読んで、前から気になっていたこの本を読んでみた。
「ぼくは、今年になってからはまだ充分に身体に馴染んでいない熱気と光の横溢に目を細める。額に次々と吹き出す汗を幾度も腕で拭きなぐりながら、陽炎が立ってみえる緩やかな坂道の下方に視線を注ぎ続ける。」
(このような描写が三島賞を受賞したる所以でしょうか。)
本の題名は、主人公(斎木鮮)が、英語教師によって、「ア・ルース・フィッシュ」(だらしのないやつ)の例文に使われたことに由来している。主人公は、looseを辞書を引いてみて、「しまりのない」「だらしのない」・・・などの意味のほかに「自由な」「解き放たれた」という意味もあることに気付き、現在の自分に相応しいように感じられI am a loose boy.と思う。
中学時代のガールフレンド、上杉幹、高校は別々の高校に進学したので、会う機会はなかった。上杉に呼び出され再び付き合い始めたが、上杉はテニスの能力を認められて私立高校に行ったが体調を崩して、テニスができず、目的を見失っている状態だった。
親と一緒にいるのがいやだからアパートを借りて一緒に住みたいとか、抱いてと関係を迫られたり、・・・。一線を越えられずに、分かれた。
その後上杉は、不良仲間と遊びまわり、妊娠し、退学させられたという。私生児を生み入院中といううわさを聞いた、斎木は、産院を訪ね、子供が里子に出されてしまうと困っているのを聞いて、アパートを借りて一緒に住もうと提案し、産院を連れ出してしまう。
三畳のアパートを借りて、親子を住まわせ、必要な生活用品を買い集める。
高校3年の斎木は、進学する気はなく、英語教師と喧嘩の末退学してしまった。
乳飲み子を抱えた、幹を働かすわけにはいかないので、就職活動を始める。中学のころから新聞配達をしてきたけど、昼の仕事に切り替えようと思う。
面接に行ってみるが、進学校の高校中退者を雇ってくれるところはない。
しょんぼり公園のベンチにいると、街灯交換の作業を手伝うことになり、そのまま雇ってもらうことになった。切れた街灯を交換したり、街灯を増設するための穴掘り作業をしたり、仕事を覚えてゆく。幹も朝の4時半から7時までパン工場で働き出した。
赤ん坊が病気になり、幹と赤ん坊は消えた。どこへ行ったのか全く連絡がない。一月ほどたって幹はやってきた。3週間ほど入院し、その後母子寮で過ごし、母親が子供を育てることを承知したので、家に帰ることになったのだという。
その夜やっと幹と結ばれた。翌朝、幹は家に帰って行ったように思えたのだが、斎木の友人の話では、家には帰っていないという。子供の父親のところに行ったのではないかという。斎木は、仕事を覚えながら、幹の帰ってくる日を待とうと思う。
(著者の履歴の中に、週刊誌記者、土木作業員、電気工事の仕事をしたことがあると書いてあったので、小説の中にその経験が織り込まれていることがわかる。電気工事の仕事の場面は実に詳しく書いてある。新聞配達の仕事も実にリアルなので、これも体験したことなのかもしれない。)
男の子(人間)は、仕事を覚えることを通じで、精神的に自立してゆくことを描きたかった作品なのだと思う。

著者 佐伯 一麦
1959年 宮城県生まれ
 宮城県立仙台第一高等学校卒業
1984年 「木を接ぐ」で海燕新人文学賞受賞
1990年 「ショート・サーキット」で野間文芸新人賞受賞
1991年 「ア・ルース・ボーイ」で三島由紀夫賞受賞
2002年7月から2003年11月まで「鉄塔家族」を日本経済新聞・夕刊に連載。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学
感想投稿日 : 2009年11月19日
読了日 : 2004年8月12日
本棚登録日 : 2004年8月12日

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