2012.1記。
例えば、水呑百姓と言えば狭い土地で細々と暮らす貧農というイメージがまずある。が、江戸時代の帳簿上「水呑」に分類されている、能登のとある古い農家に残された襖の下張文書を壱枚ずつ丁寧に引きはがして読み解いていくと、この農家の先祖が江戸中期以降に「大船」を所有し、能登から弘前まで船を向かわせて昆布を買い付け、これを大阪まで運んで巨利を得ていること、余資を鉱山開発に投資するようなこともしていること、つまりこの「農家」は大きな土地を持つ必要がないほど豊かだったので帳簿上は水呑だった、ということが明らかになる。
網野氏は著作間でのテーマの重複も多いのだが、そうした中でも本書はかなりマニアックな部類に入る。
若かりし頃に地方の農家、漁業者等から借用した古文書が様々な理由で取り紛れ、散逸し、放置されてきたことに胸を痛めてきた著者がそれを何十年か経て返却する旅行脚の記録なのである。
旅の描写では、例えば50年代の霞ヶ浦ではきわめて活発な漁業活動が営まれていたのが護岸工事の進んだ80年代には完全に崩壊している様や、空港がなかった時代の対馬に調査目的で九州から小さな船で渡り、その経験から朝鮮半島と対馬との古来からの海上交通の存在を実感する等、歴史のフィールドワークの空気感を実感できる内容となっている。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
歴史
- 感想投稿日 : 2019年1月5日
- 読了日 : 2019年1月5日
- 本棚登録日 : 2019年1月1日
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