長い読書だった。読むのに一か月半を要した。
東山道の宿場、馬籠の本陣・庄屋・問屋の息子として生を享けた青山半蔵の一代記。
幕末を描いた歴史小説は数多あるが、こうして市井の人を主人公にしてその内面を綿密に描いた作品は稀なのではないか。
この小説を読んで思ったのは、国学とは狡兎死して煮らるる犬のようなものだったのではないかということだ。
主人公は実直かつ多感な人で、庄屋の世継ぎという特権的な位置にある人ながら封建の世に苦しむ貧農をいたわるような優しさを持っていた。
儒教道徳を重んじる風でいながら権威を笠にきて横暴を働く侍を暗い中世の産物のようにとらえて、それ以前の伸びやかな国ぶりに日本が復古することを望んだ。
そのために本居、平田篤胤の書に学び勤王の有志を助けたが、いざ明治の世になると彼らは頑執盲排のともがらとも呼ばれるようになってしまった。西洋化近代化を第一に社会を運ぼうとする国家には、古代を尊ぶ人々などは無用だったのだ。
主人公はそんな時流の転変に翻弄され、自分の信ずるものに対しこの上なく忠実で清いがためにその思想と心中せざるを得なかったような人だ。
島崎藤村の描写する山家の人々の生活はどこかゆかしいものがある。近所の人々というだけであっても互いに通い何かにつけて心配しあう。誰かが村を離れるときは誰かがそれを補う。そういったことが大義でもなさそうにごく普通の光景として描かれている。
夫婦や親子の情の通い合い。客に対するもてなしの気持ち、一つ一つのやりとりが言葉に出ずとも纏綿な心遣いを隠していて、読んでいて気持ちがいい。全体として、特に後半は悲しい話ではあるけれども、そのおかげで暗くならずに済んだ。
また何気ないことだが、山間特有の食べ物をとても美味そうに書いている。くどくどしい説明などはいっさいないが、その膳が供される空間や什物の描写などと相俟って、文章から香りが立つようだ。何がどうと指摘はできないけど、その雰囲気をさらりと醸すあたりやはり名人芸だと感じた。
- 感想投稿日 : 2020年9月22日
- 読了日 : 2020年9月22日
- 本棚登録日 : 2020年9月22日
みんなの感想をみる