『文学 = 猫派』って構図は犬が可哀想って思うのは俺だけか?まぁ、本人がネコ・ザ・メタボやけど。
驚くほどスラスラと読めるのは、文体が関西弁だからってのも理由だと思う。
途中から、猫への表現が代わっていくのが、感情の変化を現わしているんだろうなって感じた。
なんだか、本当に小さな範囲の、どこにでもありそうな小さな出来事で、それが活き活きと描かれている印象。
しかし、あのカットアウトな終わり方は、どうしてなんだろう?
途中で断ち切れた映画みたいだ。
それが文学では秀逸なんだろうか?
なんで?
誰か教えて。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
和書
- 感想投稿日 : 2012年5月24日
- 読了日 : 2012年4月3日
- 本棚登録日 : 2012年5月24日
みんなの感想をみる