怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店 (2002年5月16日発売)
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感想 : 47
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 落語家円朝が幕末1861-1864年頃に、中国の小説などを元ネタとして作った物語で、1884(明治17)年にこれを速記した本が出版されている。話し言葉による物語なので、これはまさに「言文一致」である。
 読んでみると現代文とさほど変わらず、意外に読みやすいし、面白いからどんどん読めてしまう。そして物語は非常に複雑だ。登場人物も多くサブストーリーが錯綜し、おおきな物語を形成している。これを読んで「小説ではない」と断ずる理由は無い。西洋の近代小説と比較しても大変面白い、まさに小説作品なのである。もっとも私は上田秋成の『雨月物語』も見事な近代小説だと思っているので、逆に明治以降、そんなにヨーロッパ文学に注目した「小説」をことさら作り始めようとする必要があったのかな、と疑問に思う。
 本作、「怪談」と呼ぶにふさわしいのは、武士新三郎を恋い焦がれるあまりに死んだお露が、お付きの女とともに幽霊となって現れ、新三郎のもとを毎夜訪れるという、有名な話だ。これを映画化した古いものを以前観たが、いかにもおどろおどろしい雰囲気を作っていた。が、この本を読むとそんなにおどろおどろしいわけでもない。単に「死者の幽霊が出る」というコトへの恐怖が描かれているだけで、もともと恨んで出た霊ではないから害は無さそうではあるけれども、毎夜霊と会い続ける新三郎が次第に痩せ衰え、顔に死相が現れる、という点がまがまがしい。幽霊なるものがケガレ(気枯れ)と捉えられているために、常人がそれに触れると災厄を負う、という民間の思想が呈示されている。
 が、この幽霊談はごく一部だけで、後半はそれとは直接つながらないストーリーで、別の青年が主人の仇討ちを果たす活劇となっている。複数の物語を取り込んだ複合体としての物語なのだ。
 後半の主人公の善なる資質の表れとして、主人への「忠義」がしきりに強調されている。まあ、江戸時代の武士階級の常識なのだが、どうもこの「忠義至上主義」というものは、その流れが現在の日本にもひそかに受け継がれており、良い部分もあろうけれども、悪い思想ともなっていて、忠義だけに生きるゆえに、今や社畜などという経済奴隷が日本中に生まれそのストレスからしばしば凶事を行い、また、安倍晋三への忠誠から中央のエリート官僚が公文書を改ざんするなどという社会-悪に結実しているような気がする。上のもの=お上にひたすら尽くし、そのお上の行いの善悪については全く問わず、つまりひたすら隷従することにおいて下っ端は善悪等の判断を捨て去ってしまう。こう考えてみると、忠義そのものが善悪の一般倫理より上に来てしまうと、ロクなことにならないのではないか。
 まあしかし、「忠義」に関する日本文化の「病」については、本書のレビューとは直接関係ないから、追い追い考えていこう。
 本作は、幕末に生まれた豊かな小説作品として、多くの人を楽しませることが出来るだろう。速記による話し言葉のエクリチュール化が、このような奇跡的な結晶を実現してくれたのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学
感想投稿日 : 2022年2月28日
読了日 : 2022年2月27日
本棚登録日 : 2022年2月27日

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