つゆのあとさき (岩波文庫 緑 41-4)

著者 :
  • 岩波書店 (1987年3月16日発売)
3.65
  • (27)
  • (32)
  • (51)
  • (7)
  • (1)
本棚登録 : 436
感想 : 34
4

 1931(昭和6)年刊。
 再読。前に読んだのは相当昔なのでほとんど覚えていない。
 1931年といえば『墨東奇譚』を書いた5年前で、荷風52歳、今の私と同じ歳である。
 これを読んだ前日に『墨東奇譚』を読み返し、なんとなくこれを味わい尽くせなかったような未練を感じて、別の作品を1冊読んでからまた『墨東』を読もうと決めたのだった。
 本作は、『墨東奇譚』とは打って変わって、西洋の古典的な近代小説のスタイルで話が進む。随筆的な文章はごくわずか、後ろの方に垣間見られる程度。出だしから主人公の若い女性君江が生き生きと動き始め、躍動的である。
 それにしても、この時代の「カフェーの女給」とは何だったのだろう。しばしば店の前に立って客を引くし、店内では何と客と向き合って座りいっしょに酒を飲んだりもしている。今の喫茶店とはまるで違う怪しげな世界で、一種の風俗的な店だったようなのだ。
 更にこの主人公君江は売春婦さながらに、やたらと性が乱れており様々な男たちと交流する。パトロンのような者までいる。
 この時代の、私にはよくわからない世相を写し出して大変興味深い小説だ。
 登場する作家の清岡など、だらしなくしょうもないごろつき男で、そのような市井の人びとを作者は冷徹に静かに見つめ続ける。確かに本作はゾラやモーパッサンを思わせるところがある。谷崎潤一郎は本作を「記念すべき世相史、風俗史」「モーパッサンの自然主義にもっとも近い作品」と評したらしい。
 もっともエミール・ゾラなら主人公を容赦なく運命の奈落に突き落とすところだろうが、本作はそこまで劇的なところはなく、スケッチふうである。その点が何となく日本的な感じもする。
「カッフェーの女給」の当時の実態も知りたいから本作が映画化されていないかと探した。すると1956年に映画化されたようなのだが、メディア化されていないようで、見ることは出来なそうだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学
感想投稿日 : 2021年11月23日
読了日 : 2021年11月23日
本棚登録日 : 2021年11月23日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする