死刑 その哲学的考察 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房 (2017年10月5日発売)
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感想 : 38
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まだ加筆・編集すると思うけど、とりあえずメモ。
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​非常に明快でわかりやすい。

道徳について、定言命法からのアプローチはとてもおもしろかった。
確かに根拠がないからこそ絶対といえるのかもしれない。
そして著者は、「道徳は論証されなくても力を持つ」との結論に落ち着き(その道徳ってそれ自体が思い込みやご都合主義なんじゃないの?という疑問が残るけど)、カントの「同等性の原理」を根拠に死刑を肯定する。
デリダの議論をありがたがる人々を痛々しいとハッキリ述べているのは痛快だった。

ところで、本書の中盤では死刑制度の是非の根幹である「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いについて長く語られているが、私は本当に死にたいと思う人は希望通り死ねばよいと考えているので、もちろんそういう人は一人で死ぬべきであるとは思いつつ、どうしても一人で死ねない場合(最近の話題でいえば、ちょうど西部邁さんのような)それに対する幇助を罪に問わせなければ、もっとシンプルにわかりやすくなるのではと思っている。大抵の人間はできる限り生きていたいと思うし、仮に不慮の死因以外で死ななくてはならないのならば、その死に方や死期くらい自分で選びたい。だから大抵の人間は他人なんかに「殺されたくない」と思っている。他人の死に方や死期を、勝手な都合でコントロールできる権利はないだろう。でももし、明確に本人が死を望むのであれば、それに従って他人が行動を起こす、というのは何ら悪いことではない気がする。だから答えとしては「人を殺してはいけない(条件付き)」という感じなのかな。その条件が普遍的なものではあるのだけど。

例えば、「あなたが死にたいと思った今日は昨日死んでしまった人が生きたいと願った明日」という言葉があるが、もちろん素敵な言葉でもあるとは思うけど、死にたいと思った人に対してちょっと酷である。彼らを勇気づける言葉としてよく紹介されるが、逆に、これは彼らを「死にたいと思うことすらいけないのか…」と、ますます追い込んでしまう言葉である気がする。一人一人の状況は違うのだから、やはり死にたいと思う権利も死ぬ権利も当然あるのだと思う。

だからやはり、死にたくない人を死刑にするのは極刑といえるだろう。

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感想投稿日 : 2018年4月8日
本棚登録日 : 2018年4月8日

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