天平の甍、井上靖さんの小説だが、これを30年近く前に読んで古代に興味が沸いた。大化の改新とかの時代が、現在につながっているなどと思ったこともなかったのが、今と同じように活き活きと人々が暮らしている、自分達と変わらないじゃないか、というか、自分の祖先なんだ、と急に身近に感じたものだ。もしかすれば、輪廻転生した自分が、その中の登場人物であったかもしれないし。
「聖徳太子の秘密」関裕二氏の本を読んで、目から鱗が落ちた。聖徳太子は実は架空の人物で、時の政権を担う天智系の天皇家とそれを支えてきた藤原氏が創り上げた虚構だというのだ。つい最近まで、聖徳太子の実在を疑ったこともなかったが、そういう見方もあるんだ、と自分の古代史観に激震が走った。
簡単に言えば、実権争いのために天智天皇(中大兄王子)と藤原鎌足が諮って蘇我入鹿を暗殺し、その正当性を主張するために捏造したのが日本書紀という正史であり、前政権の良かった点を聖徳太子という架空の人物の業績とし、悪かった点を殺害された入鹿の仕業とした、というのである。
とても納得できる筋書きであり、なんとか当時の全容を知りたいと思っている。学者じゃないので、自分が納得できる程度でいいわけだし。
日本人は「畏れ」という感情を根っこに持っている、という本があった。つまり、祟りを恐れて、不承不承ながら従ったり、敬うふりをする。全国に数ある神社の多くは、祀られている人の祟りを恐れるがためだという。有名なのが、菅原道真の天神様だろう。その他にも、理由が伝わってないだけで、ほとんどは鎮魂のために神社が建てられているのだ。
そういった畏れの感情を犯人の子孫だけに留まらせず、いわば日本人全体の原罪意識としての畏れの感性になってしまったのはいつ頃からなんだろうか。まずは、犯人であった現天皇の祖先と、藤原氏の罪状を明らかにし、その上で初めて現日本人の文化特質を考ることができるのかもしれない。
- 感想投稿日 : 2010年11月14日
- 読了日 : 2010年6月19日
- 本棚登録日 : 2010年6月19日
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