私の中の男の子

  • 講談社 (2012年2月24日発売)
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本棚登録 : 523
感想 : 90
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『あのさ、私、最近急に、世界がある、っていう気がしてきたんだけど、時田くんは最初っから、世界がある、って知ってたの?』

自分はカメラになって世の中を写しとりたい、自分というカメラで。山崎ナオコーラはどこかでそう言っていた。そしてこの本の中でも主人公の作家に同じようなことを言わせている。そう言う山崎ナオコーラの小説は、確かに見過ごしてしまいそうな世界を山崎ナオコーラ色のレンズを透して描いているのが魅力になっている場合が多い。しかし最近の彼女の小説はどこかしら自律宣言めいたものが多いようにも思う。世界ではなく自分自身を描いてはいないだろうか。この「私の中の男の子」もまた然り。

もっともこの本は前半と後半で随分と趣きが異なるようにも思う。前半は一人の女性の気持ちが小さな世界の中だけで右往左往する様子が描かれる。その閉じたような世界観があるからこそ後半で一気に世界が広がるような印象が強くはなると思うけれど、小説というよりは誰かの日々のブログを読み続けているような、ちょっとした居心地の悪さが、そこには付きまとう。それは他人の日記を盗み見る時の居心地の悪さとどこかで繋がっている感覚だ。この小説の主人公を山崎ナオコーラ自身に重ねあわせて読まないようにしないと、その感触は増々強くなってしまう。

そんな私小説的な雰囲気もさることながら、世界を山崎ナオコーラ色のレンズを透して写しとってみたいと公言していた作家の良さが前半の恋愛小説めいた文章の中からは中々見えてこない。もっと、なるほどそういう風に世界をみることもできるなあ、という話を期待しながら読んでいるファンとしては残念な感じがする。

後半、一人の人間として自律するさま、世界が急に広がるような展開、が描かれるようになると、少々ぶっきらぼうな紋切り型の言葉づかいでありつつも断言した中に同時に許容される不確実性や多様性が存在する、という山崎ナオコーラの独特のイメージが広がってくる。その多少哲学的な物言いこそ自分が好きな山崎ナオコーラなのだ。世界は自分自身の視点からだけ成り立っている。そう宣言しながらも、彼女の小説の主人公は常に世界の小さな変化に敏感だ。その世界を記述する文章がとても印象的なのである。

それにしても最近の山崎ナオコーラの小説の中で流れる時間の早さは、少し度が過ぎはしないだろうか。確かに大きな精神的な変化が昨日今日の時間の長さの中で起こるのは不自然だとしても、まるで朝の連続テレビ小説の総集編を見ているような時間の流れ方起こる時に、少々置いてけぼりを喰らったような感覚を味あわされることがある。むしろその変化がじっくりと描かれてたらば、と思うこと仕切りなのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2012年5月5日
読了日 : -
本棚登録日 : 2012年5月5日

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