帰郷者 (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社 (2008年11月1日発売)
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感想 : 11
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「『それはどういう教えなの?』祖父は笑った。『愚かなことでも全力でやらなくちゃいけないってことだよ。ときにはそれが正しいことだったりするのさ』」

「朗読者」における正義の問われ方の問題は、ある意味で非常に感傷的だったと今となっては思う。答えないことで問題を解決する、つまりは問題そのものを最初からなかったことにしてしまう態度を遅まきながら感じたのである。しかし語っていなかったことで読む者にはその是非を咀嚼する余地が残っていたのだと、以前は考えていたのだ。

一方「帰郷者」の中でベルンハルト・シュリンクは一つの問いを実に様々な面から提示してみせる。そして「ほら、答えなんてそう簡単には出ないものなんだよ」と言っているような気がしてならない。

確かに答えは常に単純ではない。ひょっとすると問うことに見合う結果はもたらされないことだってあるだろう。もしかするとシュリンク自身が好ましく思っていないのかも知れないが、小説の中でも引き合いに出されているハンナ・アーレントの言うような、純粋な一神教的価値観に見合う正義というものは、現実の人間のさがを見誤ったものなのかも知れないとも思う。

しかし、どうにも、この小説には不穏な雰囲気がある。ドイツの現代史に思いを寄せて常に告発される側に立ち続けることの心理というものに似たような立場に置かれた国のものとしてのシンパシーを持って臨んだとしても、不穏である。シュリンクの展開する、脱構築的な意味論が、である。

テキストは文脈の中でしか意味を持たないかも知れない。それは自分が一番問うことを恐れている命題でもある。時には、その通りだなと思い、そう思った瞬間に打ち消したくなる、というような類の命題だ。だから、本書で展開される極端に開かれた形式の問いの立て方には、優れた理論ができの悪い隠れ蓑に使われているのを眺めるような恐怖が先に襲ってくる。

もちろん、一つの出来事があり、そこに因果関係を見出して、行為の意図の善し悪しを見定める、というのは余りに単純化された正義のプロセスだとは思う。様々な要因が当事者間で絡み合い、行為に多層的な、あるいは多相的な意味を与える。しかし、その複雑さは時には罰を取り除くことを導いたりもするだろうが、罪を消し去ることは決してない。そのことに対する根源的な同意が、きっと多くの人にもある筈だ。だからこそ、アーレントの主張(http://booklog.jp/users/petrohiro/archives/448084273X)には見て見ぬふりはできないし、「霧と夜」のヴィクトール・フランクルの言葉(http://booklog.jp/users/petrohiro/archives/4393364201)に心を動かされるのだと思うのだ。

シュリンクの小説家としての才は非凡であると思うけれども、本書に漂う不穏な気配が、この本を手放しで楽しんでいいものか否かを問う。それもまた読む者の手に内にあるものなのだ、と脱構築論を展開する登場人物、ド・バウワーは言うかも知れないけれど。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2009年7月12日
読了日 : 2009年7月12日
本棚登録日 : 2009年7月12日

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