突然ノックの音が (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社 (2015年2月27日発売)
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感想 : 39

『一度も会ったことのない、この先も会うこともない女性を思い浮かべようとした。努力し、一瞬、ほとんど思い浮かべそうになった。全身が痛かった。生きているのを実感した』-『健康的な朝』

人生の大半は語られない妄想と美しき誤解から成り立っていると思う。誤解が解けるとき人は安堵するのだろうか。それとも隔絶の余りの大きさに愕然とするのだろうか。妄想が明かされるとき人はそこに真実の重さを見るのか。あるいは暗渠の託つ闇の深さを感じるのか。

唐突さは、時間に依存する概念だろうか。自分には、それが実際の出来事が予想もしなかったタイミングで起こることによってもたらされる感覚というよりも、思ってもみなかったことが明かされることによって引き起こされる感覚であるような気がする。少なくとも、エトガル・ケレットの短い文章を読んで感じる唐突さは、時間と切り離されても唐突であることを主張する。詰まるところ、期待したときに何かが起こらないこと、あるいは期待していないときに何かが起きることは、究極的には時間によって解消可能な心の変化をもたらすだけだが、誤解が誤解であると判明したときに掻き乱された心の動きはいつまでも止まらない振り子のように疑問符を生み続ける。そのいつまでも時々刻々新たに生み出される疑問符が、いつまでも唐突さを鮮明に保つ。

ケレットの短篇には、そんな時間の流れの外に出てしまった唐突さが満ち溢れている。他人が自分とは異なることをこれでもかと思い知らされ、他人を誤解するより先に、自分の妄想を逞しくして安全地帯に逃げ込もうとする気配が迫ってくる。それでも、他人の考えていることが自分の考えていることと余りに異なるからといって、闇雲に排他的になったりはしない。唐突さを無理に力で抑え込まない。抑え込もうとすればその内側で圧力が高まるだけであることは解っている。放置された数多の唐突さはてんでに動き回り、時に算数のように正の符号と負の符号が合わさって消えてしまうこともあれば、いつまでも反対方向にすれ違い続けることもある。その混迷さの中で妄想を膨らませていると、不思議な達観を産みさえする。今まで読んだことのない感覚をケレットは連れてくる。

それを全てイスラエルという場所に起因せしめるのは単純過ぎるだろうけれど、その事を抜きにはなぞれない物事の道理もここにはある。不寛容さのこちら側とあちら側の両方に同じ神が居たとしたら、突然ノックして入って来る他人を拒絶でも歓迎でもない態度で受け入れるようになるのだろうか。その達観の哀しみを思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年6月5日
読了日 : 2015年6月5日
本棚登録日 : 2015年6月5日

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