姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2021年7月28日発売)
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本棚登録 : 377
感想 : 25
4

本書をどういう経緯で知ることになったのか忘れてしまった。けれど、この本はきっと面白いのだろうなという予感がして、それは裏切られなかった。
少し奇妙な感覚だと思う(のは自分だけかもしれない)けれど、例えば表題作「姫君を喰う話」や、「鯨神」、「ズロース挽歌」については、ある意味読み始める前に予想していた通りの物語だったと感じた。
本書をそういう型にはめた呼び方をしてはいけないのかもしれないけれど、純文学的な作品は、自分にとっての気晴らしや安らぎになるようなミステリーなどの小説とは違って、緊張感をはらんだ読書体験になることが多い。それは、思っていたよりも悲劇的だったり、または反対に笑えるものだったり、筋書きの面で(も)読後にショックを受けることが少なくないからだと思う。しかしこの意味では、先に挙げた短編は、むしろ、期待していた通りの展開で、期待していた通りの緊張というか、興奮を与えてくれたように思った。
例えば「鯨神」は、どうしてもあの「白鯨」のイメージを持つ読者が多いのではないか。そして筋書きとしてもそのように進行する。けれど、「白鯨」が様々な人種の関わる、世界的スケールの物語だったのに対して、「鯨神」はどこまでも土着のというか、内輪の、ある日本の漁村の神話という気がする。
解説にもあるように、「西洋祈りの女」も同じく、田舎の習俗というか濃いその場所の空気を、そこで人々がどういう息遣いをしているかまで、描くのが上手いと感じた。自分も田舎といっていい場所で育ったけれど、「鯨神」や「西洋祈りの女」を読むと、田んぼの泥とか、透き通った川とか、何がいるのかわからない山とか、幼い時の性的な関心とか体験がものすごく自分の近くにあるような感覚を思い出した。田舎では、文学のこととか本のことを考える人なんていないと思う、けんかとか性的なこととかにしか、あまり関心は払われないと思う、特に若い人たちには。というと、もちろん極論というかもはや偏見かもしれない。でも、そういう田舎のどろどろした生活や野卑な性的な関心などと、何かしらの聖性をもつものとの出会い、邂逅、昇華?というものが描かれていたように私には感じられた。それから、「がくがくする下顎と生あくびを必死でかみ殺していた」という表現が、「西洋祈りの女」にはあって、これも印象に残った。田舎では、なんというか興奮と怠惰・退屈とが、表裏になっているような気がする。
また、全く関係ない感想なのかもしれないけれど、本書では、都会よりは田舎の、現代的というよりは少し前の時代の官能的な話が収められていた。そこで感じたのだが、現代の、都会のなかの性を扱った小説は、どこか、生々しくていやである。なんでだろう…それは、自らを直視したくないということなんだろうか。本書は、やっぱりどこかフィクションの中の性として考えて読んでいたように思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年10月10日
読了日 : 2021年10月10日
本棚登録日 : 2021年10月10日

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