科学の発見

  • 文藝春秋 (2016年5月14日発売)
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著者のように物理学をやっている人から見たら,科学哲学など,科学研究の推進力にはならないと考えるでしょうね。例えば,ギリシャ自然哲学(アリストテレスなど)にはかなり手厳しい感じがします。でも,「現代アート」はそれまでのアートがあってこそなのと同様,それがなければもっと早く科学が展開してきたかというとよく分からないのではないかと思います。「巨人の肩の上に立つ」という時の巨人に含めるべきものを現代の科学の視点で評価してみようという感じでしょうか。

やっぱり,「(厳密な)理論と実験の両輪」ですよ。

宗教と科学の論争についても「歴史は繰り返す」という印象を持ちました。今は「エビデンスベイストに関する論争」にもなっています。アラブの科学が衰退した背景には科学を敵視する風潮があったようです。科学を御用聞き程度にしか使わない政権がいる国では科学は発展しないのでしょう。

コロナ禍でもニュートンみたいに自宅で研鑽を積める!なんて学生に向けた励ましがあったりするけど,このニュートンは学位を取ってからのニュートンだそうです。だから,学生向けではなく教員向けだな。


【古代ギリシャの物理学】
①実証を求める態度がなければ,その論は詩。論者は詩人。詩なら誰もその内容に関して真偽や証明を求めない。
②数学は自然科学のツールであるが,数学は自然科学ではない。数学と科学では数学に対する厳密さの構えが異なっている。これを同じと捉えて,文体を含め,自然科学も数学も理性の力だけで真理に到達すべきとしてきた(きてしまった)歴史がある。
③詩→理詰めの転換の象徴はアリストテレスで,古代人としては優れているが,目的論,実験(人工的状況)よりも観念論(非数学的であるが故に詭弁に陥るものも多い)など,現代科学からは相容れないものが含まれている。
④ヘレニズム時代は,気前のいいエジプト王の援助により,アテネからエジプト(アレクサンドリア)へと移った。万物原理よりも具体的な現象の理解に力点が転換し,エピステーメーとテクネの区別も緩かった。アルキメデスやアポロニウスが筆頭である。医学の科学化は生物学の発展を待たなければならなかった。
⑤ギリシャ科学がローマ帝国時代に衰退したのは,聖書の記述と科学知識との衝突というよりも,「異教徒による科学は,キリスト教徒が取り組むべき霊的問題から心を逸らすものだ」とするように,科学を不道徳の対象(=業火の対象)とみなしたせいだった。ギリシャ科学は注釈と少々の異議として存続したが,創造的活動は過去のものであり,やがて注釈者すらいなくなった。
【古代ギリシャの天文学】
⑥空は方位や日時,暦の情報源としての実用性から,天文学の精密化が進んだ。
⑦測定データそのものが未熟であったにもかかわらず,量的な結論を引き出すために数学が正しく使われ,地球,太陽,月に関する大きさや距離についての理解が進んだ(エジプト,アレクサンドリア)。
⑧天動説と地動説は,ケプラーによる事実が知られていない時代であったために,ファイン・チューニングになるような複雑な仕掛けを導入するしかなかった。ただ,そのよく知られる対立以前に,天動説にもアリストテレス派とプトレマイオス派の対立があった。
【中世】
⑨暗黒時代は,ギリシャ科学はアラブで存続した。但し,アラブ科学も天動説の範囲で,アリストテレス派(哲学者,医師)とプトレマイオス派(天文学者,数学者)の派閥争いが続いた。しかし,イスラム教は科学を敵視し,次第に衰えさせた。
⑩ローマ時代の名残である自由七科を学ぶ大聖堂附属学校(後の大学)の充実化が起こり,古代の著作(ギリシャ語原点のアラビア語訳)がラテン語に翻訳されて蘇った。アリストテレスの著作は例えば「宇宙は法則によって支配されている」という自然主義的だという意味でキリスト教会から歓迎されず,その注釈や支持的立場も含め異端宣告の対象となった(が後に撤回される)。数学と物理学の関係はまだ不安定であり,天動説内の論争はまだ続いていた。
【科学革命】
⑪コペルニクス,ティコ,ケプラー,ガリレオによる展開により,キリスト教と対立しながらも楕円軌道の地動説が科学理論としての地位を形成していった。
⑫人工的状況を扱う実験がガリレオから本格的に始まり,ホイヘンスへと引き継がれ,数学の論法へのこだわりから物理学が脱却した。
⑬科学者でも数学者でもなかったにもかかわらず極端な経験主義的科学観を表明したベーコンの著作『ノヴム•オルガヌム』は,当時の科学者に特に影響を与えなかっただろう。デカルトは数学を物理学に持ち込んだが,彼の見解に間違いは間違いが多い。虹の説明が最大の貢献だが,方法序説にあるような方法ではないがゆえに,彼の哲学は貢献していないとみなせる。
⑭ニュートンにより,物理学は天文学•数学と統合され,光学,数学,力学に関するニュートン理論が科学の標準モデルとなった。
現代科学は,化学や生物学,脳科学へとその自然観を広げているが,ライオンがインパラを襲うことを原子のレベルで追ったり説明したりする必要はない。ただ,今後も還元主義の道はまだ続くだろう。

*****
現在,「科学哲学」という興味深い研究分野が存在するが,これは科学研究そのものにはほとんど影響力を持っていない。(p.51)

歴史上何度もその実例を見ることができるように,その時代の知識で解明sできる問題とそうでない問題とを見極めることこそ,科学の進歩の本質的な特徴である。(p.58)

権威を持った人間が自分の権威を損なうかもしれない研究に反対するのは,医学界に限ったことではない。(p.71)

 科学の発見には,自然研究から宗教観念を切り離すことが不可欠だった。この分離には何世紀もの年月が必要だった。物理学においては十八世紀までかかったし,生物学においてはさらに長くかかった。(p.72)

 現代の科学者が「超自然的存在などいない」と最初から決めてかかっているというわけではない。私はたまたま無神論者だが,真剣に宗教を信じている優れた科学者もいる。現代の科学者の考え方とはむしろ,「超自然的な存在の介入を想定せずにどこまで行けるか考えてみよう」というものである。科学はこのような方法でしか研究できない。というのも,超自然的な存在の助けを借りればどんなことでも説明が可能だし,どんな説明も証明不能になってしまうからである。現在盛んに宣伝されている「インテリジェント・デザイン」説を科学と呼べない理由はここにある。それは科学というよりも,科学の放棄である。(p.73)

 古代世界に地動説が定着しなかった理由を述べるのは簡単である。地球が動いていることをわれわれは感じない。そして,それを感じなければならない理由がないことを,十四世紀まで誰も理解できなかった。(p.106)

 古代ギリシャの天文学の偉大な進歩を推しすすめたのは物質的な器具だけではなかった。それには,数学の進歩が果たした役割も大きかった。古代及び中世の天文学のおもな対立点は,「地動説か天動説か」ではなかった。対立していたのは,静止した地球の周りを太陽や月や惑星がどのように運行しているかに関する,二つの異なる理論だった。そして,その対立の大きな部分を占めていたのは,自然科学における数学の役割に対する考え方の違いだった。(p.115)

現代の理論物理学者も基本原理から推論するが,推論という作業には数学が用いられる。原理自体が数学で表されるものであり,観測から習得されたものである。間違っても,「よりよいものは何か」という思索から習得されたものではない。(p.136)

ニュートンの成功は,惑星の動きを単に記述したのではなく,それを「説明したこと」にある。ニュートンは重力を説明してはいないし,そのことを自覚していた。だが,これが説明というものの常である。いつか説明される日のために,常に何かが残されるのである。(p.138)

 異端宣告とその撤回という十三世紀の出来事は,おそらくこう要約することができるだろう。異端宣告はアリストテレス絶対主義から科学を救い,その撤回はキリスト教絶対主義から科学を救ったのだ,と。(p.180)

 デカルトもベーコンも,何世紀にもわたって科学研究のルールを決めようとしてきた大勢の哲学者の一人というに過ぎない。科学研究はルールどおりにはいかない。どのように科学を研究すべきかというルールを作ることによってではなく,科学を研究するという経験から,われわれはどのように科学を研究すべきかを学ぶ。そして,われわれを突き動かしているものは,自らの方法で何かを見事に説明できたときに味わう喜びを求める欲求である。(P.279)

ニュートンは,ロンドン,ケンブリッジ,生地リンカンシャーを結ぶ,イングランドのごく狭い地域から出たことがなかった。潮の満ち引きに多大の興味を持っていたにもかかわらず,その海にさえ行ったことがなかった。(p.280)

ニュートンはデカルトの,「光は,目に作用する圧力である」という説を,「もしそうなら,走っているときには空の明るさが増して見えるはずだ」と否定した。(p.284)

物理理論というものは,計算したいと思うすべての物事を計算できるわけでなくても,単純なものの計算が確実にできることが実証されれば,その正当性は証明されたものと見なされるのである。(p.312)

 アインシュタインの予測どおり太陽が重力場によって光線が曲がることが一九一九年に観測され,アインシュタインの理論の正しさが確認されたとき,タイムズ紙は,「ニュートンの理論は誤りだったことが証明された」と宣言した。この記事は間違っていた。ニュートンの理論はアインシュタインの理論の近似理論――光速よりずっと遅い速度で運動する物体に関して有効性が増す理論――と見なすことができる。アインシュタインの理論は,ニュートンの理論を否定しないというだけではない。相対性理論は,ニュートンの理論がなぜうまく機能するかを説明しているのである。一般相対性理論それ自体もさらに完璧な理論の近似理論であることは疑いの余地がない。(p.322)

 つまり,世界はわれわれにとって,満足感を覚える瞬間という報酬を与えることで思考力の発達を促すティーチングマシンのような働きをしているのである。数世紀かけて,われわれ人類は,どんな知識を得ることが可能か,そしてそれを得るにはどうすればいいかを知った。われわれは,目的というものを気にかけなくなった。そんなことを気にかけていては,求める喜びには決して到達できないからである。われわれは確実性の追求をやめることを学んだ。喜びを与えてくれる説明は,決して確実なものではないからである。われわれは,設定した条件が人工的であることを気にせず実験することを学んだ。そして,理論がうまく機能するかどうかの手がかりを与えてくれ,それがうまく機能したときには喜びを増してくれる,一種の美的感覚を発達させた。人類の世界の理解は蓄積していくものだ。その道のりは計画も予測も不可能だが,確かな知識へとつながっている。そして道中,われわれに喜びを与えてくれることだろう。(pp.236-327)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 科学論/科学哲学-office
感想投稿日 : 2022年1月19日
読了日 : 2022年1月26日
本棚登録日 : 2016年10月20日

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