ダメなものは、タメになる: テレビやゲームは頭を良くしている

  • 翔泳社 (2006年10月1日発売)
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感想 : 7

「ゲーム障害 (gaming disorder)」という新たな疾病がが2018年に盛り込まれた。ゲーム反対派は「それみたことか」となるでしょう。なんたってdisorder(=dis+order:自制できない衝動により制御不能)なんだから。でも,ゲームに限らず何事も程度問題。良い側面だってあるでしょう。それを確認するためにこの本をレンタルしました。

僕が今でも続けているゲームはドラクエくらいしかないけど,「プロービング,仮説立案,再プロービング,再考」という基礎的な科学的方法を確かに繰り返している。「街についた。街の人と話す。この人の話はあまり重要ではなさそうだ。ここのツボには何が入っているか。…」

全般的に訳があまりよくないかもしれない(元の文章の問題という面もあるかもしれない)。例えば,ゲームの話のところで「命が三つしかない」も「ライフが三つしかない」とした方がゲームという文脈に即した日本語になる。プロービングも「調査」ではなく「探索」の方が適切だろう。


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 ゲーム文化の内容を重視しないのを,逃げ腰だと思わないでほしい。ぼくたちは頭脳や体にとって良いとされる多くの活動の内容を無視している。だれもチェスの単純さや軍隊的な趣向に不平を言ったりはしない(『いつも終わり方が同じだ!』)。また,いったん卒業したら生徒たちの九十九パーセントは二度と代数の知識なんか使わないと知ってはいても,学校では子供たちに代数を教える。代数を学習するのは,代数という個別ツールを身につけるのが目的ではない。どこかで役に立つ知力を鍛えるのが目的だ。ジムに通うのも「ステアマスター」の使い方を学ぶためではない。ジムに行くのは,ステアマスターの運動が体に良い効果をもたらすからだ。そのメリットは,週の残りのステアマスターに乗っていない多くの時間に感じられるものだ。
 ゲームでも同じこと。重要なのは,ゲームをしているときに考えている内容ではなく,あなたの考え方だ。これはもちろんゲームに限ったことではない。ジョン・デューイは『経験と教育』でこう述べる:「おそらく教育学上最大の誤りは,人間はそのとき学習している特定の内容だけを学ぶという考え方だ。永続的な態度や嗜好の形成という付随的な学習のほうが,綴り方の授業や地理や歴史の授業よりも,はるかに重要になることがしばしばある。将来にわたり根本的に人を左右するのは,そうした態度なのだから」(pp.48-49)

頭脳の意思決定装置に直接関わる大衆文化は[ゲーム以外に]他にない。外から見ればゲーマーの主な活動は,クリックと射撃の嵐に見える。だからゲームに関する世間的な見解の大部分は,手と目の連携運動を問題にする。でもゲーマーの心の中を覗くと,主な活動はまったく別物であることがわかる:一瞬の判断から長期的な戦略まで含めた決定を下しているのだ。(pp.49-50)

 これ[チェスやモノポリーなどルールに曖昧さが全くない伝統的なゲーム]に対してテレビゲームの世界では,ゲームを始める前からルールがすべてわかっていることはめったにない。画面上の物体やキャラクターの操作に関するいくつかの基本的な説明と,当座の目標のようなものは与えられる。でもルールの多く――最終目的の内容と,そこに到達するために必要な技術――は,ゲームの世界を探索しなければ明らかにならない。まさにプレイすることによって学ぶわけだ。これは未経験者がテレビゲームにいらいらさせられる理由のひとつだ。未経験者はコンピュータの前に座って言う。「何をすればいいの?」そして居あわせたゲーマーが説明してやるはめになる:「何をするべきか,きみが見つけだすんだよ」。理解するには,そのゲームの論理の奥行きを調査(プロービング)しなければならないのだ。そしてたいていの調査(プロービング)工程と同じく,物事に遭遇したり直感に頼ったりしながら,試行錯誤を通して答が見つかる。…(pp.50-51)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: レンタル
感想投稿日 : 2019年2月15日
読了日 : 2019年2月15日
本棚登録日 : 2019年2月15日

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