巨匠とマルガリータ(下) (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2015年6月17日発売)
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本棚登録 : 370
感想 : 26

モスクワに突如現れた悪魔ヴォラントは異常な乱痴気騒ぎを引き起こす。一方、エルサレムでは、総督ピラトゥスがイエス(ヨシュア)を処刑したことで苦悩している。
2つの時空をつなぐのは、「巨匠」の幻の作品である。モスクワに住む作家、通称・巨匠がピラトゥスの物語を綴っていたのだ。巨匠は作品が評価されなかったことで失意の淵に沈み、彼を支えていた恋人に告げぬまま、精神病院に入ってしまう。
その恋人こそが「マルガリータ」であることが下巻の冒頭で明かされる。
巨匠が忽然と消えたことに傷ついたマルガリータだったが、彼を忘れることはなかった。その彼女を、悪魔ヴォラントが召喚する。魔女となった「マルガリータ」は、一糸まとわぬ裸の姿で空を飛び、「巨匠」を苦しめた者たちに罰を与える。そして悪魔の開く大舞踏会の女主人として大勢の客をもてなす。
舞踏会の礼として、悪魔は彼女が一番欲しいものを与える。そしてまた、二千年もの間苦悩し続けるあの男と巨匠との仲立ちをするのもまた悪魔であった。

ロシア的マジックリアリズム。
物語はあらすじで想像するほど生易しくはない。あちらへ行き、こちらを彷徨い、時に淫靡で時に滑稽、ある時は重厚である時は馬鹿馬鹿しい。
「マルガリータ」はゲーテの『ファウスト』に登場する女性の名(マルガレーテ、別名グレートヒェン)を思い出させる。ファウストに弄ばれ、嬰児殺しで投獄されるが、最後まで神を捨てない。最終的にファウストが救われるのは彼女の祈りのおかげである。
本作のマルガリータは悪魔を「ご主人」と呼び、彼の願いにすすんで答える。だが、結局のところ、巨匠は彼女に伴われて、永遠の安らぎを手に入れるのだ。

全体に、神の影は薄い。物語を終始引っ張るのは悪魔だ。
巨匠が書く物語の中でも、処刑されるイエスは主人公ではなく、処刑する側のピラトゥスが主体である。
だが、無神論者を公言するベルリオーズは物語冒頭でこっぴどくやっつけられる。
逆に、神やイエスを信じるものを、実は悪魔が救っているようでもある。
猥雑で派手な騒ぎを引き起こしつつ、悪魔が去った後には、苦しんだ者たちに永遠の安らかな静謐がもたらされる。
つまるところ、本作では、悪魔は神の「代行」者なのか。
悪魔と神は表裏一体。神がいなければ悪魔も存在しえない。神を否定する者はまた、悪魔をも否定する者だ。それをいささか荒っぽい手腕で見せつけてやったというわけだ。

巨匠は色濃く、作者自身を思わせる。一度体制側に睨まれてからは、多くの作品が発禁処分となる。苛立ちや不安、絶望もあったろう。
幕切れで、巨匠とマルガリータが落ち着く場所は、作者の理想の「天国」のようにも思える。

作中で、絶望した巨匠は、一度は原稿を焼く。だがそれは悪魔により復活する。本作中最も有名な一節、
「原稿は燃えない」

それは生前、不遇であった作者自身の叫びのようにも聞こえる。
抑圧されても、発禁となっても、焚書の憂き目にあっても、原稿は、物語は、消えない。
灰となってもまた、不死鳥のように高く舞い上がる。
その力は時空をつなぎ、作者と読者とを直につなぐのだ。

不思議な感慨を呼ぶ1作。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学
感想投稿日 : 2022年8月15日
読了日 : 2022年8月15日
本棚登録日 : 2022年8月15日

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