藤子不二雄が、合作で作品を描いていたということは、大人になるまで知らなくて、どういった作品を出していたのかに関しては、この本を読むまでに知る機会がなかった。
藤子不二雄、FとA(本当はAを丸で囲う形が正しいのだが、変換上の都合でAとする)について、これほど深く書かれている本はあまり例になかったように思える。
「ドラえもん」や、「笑ゥせぇるすまん」のように、かつて同じ名前で作品を作っていた方が、なぜ全く異なるテイストの作品を生み出したのかというテーマに対して、第二部で語られるのだが、それが非常に面白かった。
『Fは個から始まり、世界へと拡大していく物語を好み、Aはバラバラだったものが一つにまとまっていく物語を好む。前者がSFであり、後者がホラー的手法であることは言うまでもない。また、Fはほとんど実存であるとか、リアルと いったものからは自由に想像力を働かせていくが、もっともらしさ (リアリティ)にはこだわり、 Aは逆にリアリティを放棄することもある。 ストーリーや物語の結構に気を配るFは、短編を基本とし、起承転結の基本の中でオチのあるストーリーを毎回展開していった(P261より)』
のび太とドラえもんの個別のやりとりに、四次元ポケットから広がる世界。だが、広がった世界も最後には収縮し、再び始まりから繰り返す「ドラえもん」。
それと対照的に、現実からホラー要素も含んだ非現実世界へと誘い、戻ってくることのない「笑ゥせぇるすまん」。
どちらも、漫画という題材を使って独特の世界観を表現しようとしたが、表現したかったものは、部分的に異なっていたので、合作をやめたのかもしれない。
文から絵へ、そして動きを与えてアニメーションへ。
それにつれて、限りある情報からどうなっているのか想像するスキマがどうしても減ってしまうのは、ある意味でも仕方ないことなのかもしれない。
ただそれは、受け手にとっての悩みであり、表現する側からしてみれば、自分の考えをよりしっかりと理解してもらえるのが、漫画のチカラだと思う。
どうしても、文学とマンガを分けて考えてしまいそうになる私ですが、同じく伝えることにおいては、表現方法の違いであり、これらを分けることは、相応しくないのかもしれませんね。
- 感想投稿日 : 2022年6月7日
- 読了日 : 2022年6月5日
- 本棚登録日 : 2022年6月5日
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