論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA (2008年10月24日発売)
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古典とは、時代に洗練されて残り、価値観の変化に耐えて読み続けられてきたものだから、普遍的な価値を有しているし、価値観の本質に触れる事ができるという点でも価値がある。しかし、著名人が残した言論は、著名だから残るのであり、その中身に意味があるかは別だ。読み難い、時代の偏見に満ちた考えを後生大事に読むというのは、裸の王様を讃える盲目の所作。同じ古典でも、御伽噺や古事記、資本論を一緒に語れはしない。ということで、本著をニュートラルな目線で読む。

道徳なき商業における拝金主義と、空理空論の道徳論者の商業蔑視の接着剤。論語は徳育であり、算盤は拝金主義だが、これを背反させずに止揚したいという志が原点。この志の高さは、現代ではエシカル消費、ESG投資のように資本主義に組み込まれ、渋沢栄一の思いが現実のものになりつつある。悪いことをしてでも儲けられた時代が倫理観の高まりと共に終わりを告げ、社会は浄化作用を極限まで高めていく。普遍的価値観というか、先見の名というか、流石である。

アリストートルは、すべての商業は罪悪であると言ったのだという。え、誰?いや、アリストテレスの事でした。そりゃそうだろう。その頃は、奴隷を売り捌いていた。戦争の価値は、世が進むほど不廉となる。不廉、これも分かりにくい。戦争のコストが上がるから、どうせやらなくなるよ、という話。つまり、無意味な争いは終わり、商業にも秩序が組み込まれていく。まだ時間はかかりそうだが、種の認識範囲が広がる程に、人は平等で優しくなる。

同氏が設立に関わった帰一協会についても、述べられる。帰一協会は、1912年に設立された、宗教者同士の相互理解と協力を推進する組織であり、神道・仏教・キリスト教などの諸宗教は本来同根であるという「万教帰一」の考えにもとづく。して欲しいことをしてやれ、という教えと、されたくない事はするな、の教えは同根だし、統一できるはずだと。こうしたアウフヘーベン志向が同氏の原動力にあるのだろうか。いずれにせよ、皆大好き言語ゲームと言語秩序とその擦り合わせ、の世界観だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年12月4日
読了日 : 2023年12月4日
本棚登録日 : 2023年12月1日

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