オスは生きてるムダなのか (角川選書 469)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版 (2010年9月18日発売)
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池田清彦の本気モードか、いつものエッセイとは異なる学術的内容で知的刺激満載。雌雄の根源を求めれば、行き着く先は哲学か。序盤から考えさせられる。メスにとっては性が何のためにあるかわからない。性にはエネルギーと時間がかかるし、自分の遺伝子を100%残すならば単為生殖の方が適しているからだと。種で考えるか、個体で考えるか。

このデメリットを上回るメリットは、一般的には大きく2つ。1つは多様性を増大させる事。有名な例では、1845年のアイルランドでジャガイモがカビの感染によるポテトレイトブライトと言う病気に侵された時、ほとんどのじゃがいもがクローンだったために次々と感染が広がった。単為生殖ばかりだと、何かの病気が蔓延した時や環境が激変したときに全滅する恐れが強い。もう一つの目的は、遺伝子の修復。減数分裂により遺伝子を修復するが、修復した遺伝子を子供に受け継ぎ、種として生命を繋いでいく。

ミドリムシやアメーバのようなnのハプロイド細胞は原則的に死なない。2nのディプロイド細胞は死ぬ。コンディションが良いのに死ぬ理由はない。生物の起源から考えると「死なない」事が普通。「死ぬ」事により、細胞の能力を飛躍的に増大し、多細胞生物になり、複雑なシステムを手に入れた。個体が寿命を持つ根源的な理由は、おそらく子孫を残した後の個体は進化的見地からは生きていても無駄だ、と言うところにあるのだろう。また、寿命が長く世代交代の遅い生物は進化の速度が遅くなる。世代交代が早ければ、新能力を持った生物新機能を持った生物が出現する確率が高くなる。

つまり、種としての生き残りの為に、我々はセックスし、進化のために寿命を定めたのだ。決して個人の為ではない。個人のエゴのような生存戦略も、ルーツを辿ればそう明言できる。個人のエゴの究極形は、単為生殖、或いは不死ではないか。不死とは言っても寿命がないだけで、物理的、受動的に殺される事はある。捕食、殺害される確立は、種としての生き残りを選ぶ事で低減する。

自ら選択したはずの死について悩むのも、生存以外の余暇に悩むのも、種として役割を果たして満たされるはずの承認欲求も、そのように作られた人間のデザインによる。作られた、というより、自己選択的な形質による、という方が正しいか。本著により、利他的な遺伝子を見た気がする。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年5月1日
読了日 : 2023年5月1日
本棚登録日 : 2023年4月30日

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