ぼくはこう生きている 君はどうか

  • 潮出版社 (2010年1月5日発売)
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鶴見俊輔をウィキペディアで引くと、大正11年6月25日生まれ、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者とある。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とも。別の著者の著作の中で、鶴見俊輔を知り、いつかは触れてみたいと思った。ちなみに、写真を検索するとクリクリの目。愛らしい人だ。祖父は後藤新平。

しかし、この本にはもう一つ、素敵なオマケがあった。それは対談相手の重松清だ。彼の小説は何冊か読んだ事があるが、その小説を対談ごとに鶴見俊介が褒める。重松は謙遜する姿勢を崩さぬが、それもまた良い。彼の小説が読みたくなったというのが本著の副次効果だ。

二人が教育について話す。特に印象的なのは以下の内容。日本の教育は、偏差値重視、テストの点数を競い合うようになり自壊し、その中からエリートは生まれないと。その境目は1905年だと鶴見俊介は言う。1853年ペリーの黒船の時に幕府が全国の大名にどうしたらいいかを尋ねた。その時のみんなの返答はよろしいようになさってくださいだと。そこからわずか10年の間混乱の中から指導者が抜きんでてきた。これが本来の意味のエリートである。つまり大衆の中から抜きん出る人。坂本龍馬は郷士、高杉晋作は無禄、横井小楠は軽輩。西郷隆盛も大久保利通も下級藩士。

1905年までの教育の形と言うのはゲマインシャフトによる人と人との付き合いの中で発生したもの。しかしそれ以降は学校教育は成績を求めるものに変わったのだと。論理的に考えて、それが正しいかは分からない。しかし、感覚的に言いたい事は分かる。人間社会は必ずしも合理性で説明ができるものではなく、地縁や家族、務める会社など、集団に愛着形成して生きていく。ゲマインシャフト性がもつ、非合理な領域にこそ、その領域の期待する目的に合った救世主のようなエリートが発生しやすいのかも知れない。一問一答の教育の型通りに上位を目指しても、辿り着く世界は大衆の変革には役立たぬ、量産型だ。分かるような気がする。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年10月21日
読了日 : 2023年10月21日
本棚登録日 : 2023年10月19日

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