やたらと作中で1935年、1936年という年代が目立つので不思議に思っていたが、ちょうど二・二六事件がおこる直前の話という事がわかる。そう思うと物語も違ったものに感じられる。ちょうどドイツでヒトラーが台頭し、ソ連でもスターリンが書記長になり、アメリカではルーズベルト大統領が再選と第二次世界大戦に向けて世界が進む中での話だと気づくと、物語の中でも少しずつ戦争の足跡が聞こえてくるのがわかる。
しかし、堀辰雄はそういった世界の事は全く触れず、ただ節子とのサナトリウムでの生活の記述に終始する。まだ、あさま山荘事件も起こっていないし、ソ連も崩壊していない。たぶん、コミューンというものに若者たちが憧れを抱いていた時にサナトリウムの中で堀辰雄と節子は二人だけのコミューンを作ろうとした。結局それは人間の業としかいいようのないもので崩壊してしまうのだが、自分にも死が迫っている事を感じながら、自然の情景の美しさ、人の暮らしの美しさ、そして、自分達の業ともいえる罪をも美しく芸術的に描いている。
最後に一人きりになってしまった堀が「私たちは幸せというものにこだわってきたが、不幸や幸せを捨てきった今の方が心の平穏を感じる」という言葉に、突き刺さるものを感じた。今の私たちは「幸せ」というものに執着し過ぎてはいないだろうか?「幸せである」とか「不幸せである」とかから達観した「存在しているだけで良い」という堀の考え方は、現在の何か社会不安を感じる自分達にも共感できる考え方だと思う。
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- 感想投稿日 : 2022年6月7日
- 読了日 : 2022年6月7日
- 本棚登録日 : 2022年6月7日
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