文庫は、ナンセンス文学である「風博士」から始まる。
どこかドグラ・マグラ的な匂いを感じなくもない。
幾度も同じ単語を並べ立て、強調に強調を重ねた「僕」の語り口に、だから何なの?と言いたくなる。
演説のような「僕」の熱弁ぶりと反比例して、読者は段々とバカバカしい思いに捕らわれていく。
それでも何か意味があるに違いないと私達はページを繰る。
しかし坂口安吾は、深読みしたがる読者を煙に巻くのだ。
さて、読みたかった「桜の森の満開の下」。
昔話のような語り方で、美しい桜の木のもと、人の業が描かれていた。
青空のもと見上げる満開の桜は春の喜びを感じるのに、
ハラハラと散る桜は儚げで美しいのに、
月明かりに照されて闇夜に滲む桜は、何故妖しさを纏うのだろう。
美しく小さきものは可愛らしいのに、何故満開の大木は恐ろしいのだろう。
あの花の下でゴウゴウという風の音を聞いた時、花びらが散るように魂が衰えてゆくと感じた時から、山賊は自分の中の「恐怖」を実感する。
美しくも残忍な、あの女は何者だったのか。
山賊は女との出会いを切っ掛けに、女が着飾る「美」を知ってゆく。
人其々の「価値観」も知っていったのかもしれない。
そうして山賊は、「知」が増すことで逆に「知らない」ことへの羞恥と不安も湧いてくる。
物語は、美しすぎるものには恐怖すら感じてしまうという人間の不思議な感覚を、
桜の妖艶な美しさを効果的に使いながら展開していた。
「知」を得たからこその「未知への恐怖」
物では満たされぬ「欲求」
それ故に「狂気」にも陥りかねない「際限のない欲求」と「退屈」
それらに飲み込まれ自分を見失ってしまった者に訪れる「孤独」と「空虚」
失って気付く「悲しみ」
山賊は、もはや自分自身が「孤独そのもの」であることを知り、自分の胸に生まれた「悲しみにさえ温かさを感じる」のだ。
そして消えてゆく。
全ては桜の花が魅せた幻影だったのか。
それは桜の花だけが預かり知るところ。
残るはハラハラと散る桜と、冷たい空虚のみだ。
しかし読者は、その恐ろしいラストシーンにさえ美しさを感じてしまう。
何度も読み返したい、坂口安吾の傑作だ。
他に収められている物語も「女性」を絡めつつ「欲求」や「エゴ」を描いている。
表現方法は実に巧みで、読み返すほどに味わいの増す1冊。
- 感想投稿日 : 2022年11月9日
- 読了日 : 2022年11月9日
- 本棚登録日 : 2022年11月9日
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