ろまん燈籠 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1983年3月1日発売)
3.76
  • (87)
  • (119)
  • (164)
  • (5)
  • (1)
本棚登録 : 1443
感想 : 102
4

先日、100分de名著『太宰治 斜陽:名もなき「声」の物語』高橋源一郎 を読み、
思いの温かいうちに『散華』だけでも読もうと。
よって今回は、『ろまん燈籠』に収録された『散華』のみのレビューとする。

太宰は結局自ら死を選び逝ってしまったけれど、丸っきりこの世の全てを放棄していたわけではないように思えた。
小説家を目指す若き芽を育てていた。
太宰はそんな風に思ってはおらず、友人として接したようだけれど。

三田君が、作品を持参した日とそうでない日の、玄関の戸が開けられる音の違い。
太宰はちゃんと聞き分けて、体も心も気遣う。
まずは体を丈夫にして、それから小説でもなんでもやったらいいなんて言う。
しかも直接ではなく、三井君の親友に頼むのだ。
君から強く言ってやったらどうだろうと。
心遣いが温かく、大人の振る舞いだ。
戸石君のことも、続く三田君のことも太宰は温かな眼差しでよく見つめている。
詩の世界で芽が出た三田君のことも、
「私には、三田君を見る眼が無かったのだと思った」
「三田君が私から離れて山岸さんのところへ行ったのは、三田君のためにも、とてもいいことだったと思った」
と記している。

三井君も三田君も、年少の友人だったと太宰は言う。
自分には、いたわるとか可愛がるなど出来ないと。
ただ年齢のことなど手加減せずに尊敬の念をもって交際したかったと。
(それでも私には充分いたわって可愛がっているように感じられたが)

しかし『散華』というタイトル通り、これは単なる楽しい思い出話ではない。
三井君は病気で、三田君は出征先で、命を落としたのだ。

太宰は三田君の原隊からのお便りを4通挙げているが、"最後の一通を受け取ったときの感動を書きたかったのである"と言う。
三田君はアッツ島守備部隊にいたが、太宰自身はその守備隊については"その後の玉砕を予感できるわけは無いのであるから………格段驚きはしなかった"けれども、"三田君の葉書の文章に感動した"と。
「御元気ですか。遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、死んで下さい。
自分も死にます、この戦争のために。」
余程心に響いたのか、この文面を太宰は『散華』の中で3度も挙げる。

私はなんだか、太宰が取り違えているような気がしてならなかった。
本人はえらく感動した風情で、これぞ詩人!と感銘を受けたようであるけれど、
三田君は、"自分は戦争なんていうよく分からぬものの為に死ぬけれども、太宰さんはそんなものの為に死ぬのではなく、もし自分で死を選ばなければならないなら、文学の為に死んで下さい"と言いたかったのではないの?
そもそも太宰が徴兵を逃れたのは、結核や自殺未遂など、心身が万全ではなかったからだよね。
戦地に赴いたこともない人間が、この戦争のために死ぬと言ってよこした便りに、"ただならぬ厳正の決意"を感じて"最高の詩のような気さえして来た"とは、呑気すぎないか。
"アッツ島玉砕の報を聞かずとも、私はこのお便りだけで、この年少の友人を心から尊敬する事が出来たのである"
確かに、素人の私でさえ、詩的で真っ直ぐな表現が並々ならぬ決意を含んで美しいとは思う。
でも、なんというか………言い方?
こういう言い方しちゃうから、太宰を嫌う作家も居たのでは?

私にはよく分からない。
三田君は"詩"のつもりで書いたのかしら?
というか、私が"詩"の概念を誤っているのかもしれないな。
心の内からポッと生まれた文章は、全て"詩"と呼べるのかもしれない。
だとしたら、酷い惨劇が起きている現場で、カメラマンが助けることより撮ることを選ぶように、
小説家であった太宰もまた、小説家として三田君からの便りを目にしたのか。
戦争を知らぬ私でも、三田君からの手紙は読んだだけでウルッとするのにな。。。

P297に自身のことを、"としとってから妙な因業爺になりかねない素質は少しあるらしいのである"と表現していて、
これを読むと年老いた自分を想像することもあったんだなと意外に思う。
Wikipediaによると『散華』の執筆時期は1943年11月上旬(推定)とあった。
『津軽』の直前かな…。
だとすると、死を意識した太宰が、故郷を見ておこうと思うに至るまでに、三田君からの便りも少なからず影響しているのだろうな。
その後、太宰は1948年に美容師の山崎富栄と心中しているが、前の年には『斜陽』のモデルの歌人である太田静子との間に子供が生まれて認知している。
きっとこの頃はもうぐちゃぐちゃだよね。

「御元気ですか。
遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、
死んで下さい。
自分も死にます、
この戦争のために。」

太宰さん、貴方は何のために死を選んだんでしょう?



アッツ島:
その惨たらしい様は広く知られているはず。
守備隊の4倍ものアメリカ兵が上陸し、制圧下に置かれた。
日本の本営も、これ以上戦力を消耗しては…との考えから、増援部隊も送らず、アッツ島の兵士たちは孤立無援状態となった。
テレビ番組の特集を見たが、手榴弾を持ったり、または丸腰で、アメリカ軍に向かってくる様は異様だったとのこと。
守備隊は全員玉砕。
山本五十六の死、アッツ島守備隊の玉砕と続き、ここから更に日本は、一般市民もこれに続けと間違った方向へ突き進んでゆく。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年9月22日
読了日 : 2023年9月22日
本棚登録日 : 2023年9月22日

みんなの感想をみる

コメント 2件

本郷 無花果さんのコメント
2023/09/23

おはようございます。
太宰の人柄が読み取れるレビューですね。
本作は私は未読ですが、貴殿のレビューから太宰は友人の死を心の底から悼んでいる様に感じました。
それは作品タイトルにも反映されていますよね。
機会があれば本作、手に取りたいと思います。

傍らに珈琲を。さんのコメント
2023/09/23

こんにちはー
コメント有難う御座います、嬉しいです!

ね。作品タイトルにはんえいされてますよね。
『散華』の前に読んだ『100分de名著 太宰治 斜陽』で高橋源一郎さんが、
「"玉砕"も"散華"と同じことばだ。………誰かが戦場で死ぬのは、"戦死"にすぎず、その兵士は、玉でも華でもない。それなのに、どこかに、その兵士は"玉"や"華"だと信じたい人が、信じさせたい人がいるのだ。」
と仰られていたのが印象的でした。

ツイートする