村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1999年3月2日発売)
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本棚登録 : 1708
感想 : 111
5

これ、いいんですよねえ。めちゃんこサクッと読めると思います。もう、サックサク。一瞬で読み終えられちゃう、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、ある意味村上さんに失礼な言い方かもしれませんが、この本、なにしろめっちゃんこサクサク読めちゃいます。

で、それが、決して悪いことではない。本当に一瞬で読み流せちゃう気がするのですが、読んでいる最中は、もうね、すっごくこう、なんというか、素敵な気持ちになることができる、感じなんですよね。村上春樹さんのエッセイは、何故に、これほどまでに言葉が心地よいのだろうなあ。

ある意味、「この小説を読んで欲しい!」と、とある村上さんの小説を誰かに薦めるよりも、このエッセイを「こんな軽い感じ、どう?サクッと読めますよ。なんかこう、あんまグッと来なかったら、途中で読むの止めたらいいんだし」と、ごく軽く、ごくさりげなく(でも自信をもって)お勧めできる感じ。「僕はこれ、好きなんですよね。決して重すぎない感じだけど、本当に好き。あなたはどうなんだろうなあ。好きになってもらえたら、嬉しいんだけどなあ」って、ユル軽く薦める感じ。そんな素敵な、エッセイなのです。

このエッセイを書いている時期は、1994年春~1995年秋の頃。この時、村上さんは、マサチューセッツ州ケンブリッジに滞在されていたそうです。海外に住んでいる状況が経験がいかんなくエッセイに反映されている、訳では無いようでして、この時期に村上さんは、相当にコッテリと深く、長編小説の執筆に力を入れておられたようでして、その長編小説にめちゃんこ重点を置いて文章を書いておられたので、その時期のエッセイはバランスをとるように、かるーく気楽なものになった?という流れで、この著書が出来たようなのですが、、、

凄いよなあ。ある意味、大変に語弊のある言いかたですが、気晴らしに書いていた文章、ってことでしょう?これらは。その気晴らしの文章が、これほどまでに、素敵に誰かの心を(この場合は、僕の心を)とらえるなんて。おっとろしいよなあ。

収められた各エッセイの文章も文体も内容も凄く良いのですが、文庫内に、村上春樹さんの奥様が撮影された写真が、ちょこちょこと登場するんですが、その写真の解説に添えられた村上春樹さんの写真解説文章が、また、すっごく良いんですよ。めちゃんこ味のある文章だなあ、とかね、思います。絶対に、そんなに気負って書いていない筈の文章なのだろうに、それでも素敵。それって、村上春樹、という個人の、なんらかの魅力を、本当に引き出しているんではなかろうかな?とかね、僭越ながら、思っちゃうんですよね。

フル・マラソンに対する洞察が好きですね。何故にヒトはマラソンをするのか?という根源的な問いが素晴らしいです。
どれほどまでに自分は、中華料理が苦手なのか、ということを何とか説明したい、という文章も好きです。中国でピッツァを食べる、と言う行為の悲哀を訴える言葉が本当に好きですね。
車を盗まれたことに関しての、保険を巡る?あまりに七面倒くさい手続きの話も凄く好き(好きって言ったら失礼で申し訳ないのですが)ですね。とてつもなく無能?な、というか、とてつもなく無自覚に「悪い」人間の存在を、サラッと書いている気がするのも、ある意味怖い。あのような人間は、きっと、本当に存在するのだ。そのような存在と関わったならば、きっと「本当に消耗しきって」しまうのだろうなあ。となると、こっちから「関わらない」ことを選ぶしか、ないだろう?きっと、そうするしか、ないですよねえ、、、

「小確幸」という、とてもとても素敵な言葉がでてきます。この言葉が意味することは、人が日々生活を営む上で、本当に素晴らしく重要な概念ではなかろうか。と思う次第です。村上さんは、こういうことを教えてくれるから、しみじみと好きなんですよねえ、、、「小さいけれども、確かな幸せ」か。なんて素敵な言葉なんだろうなあ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年8月2日
読了日 : 2018年8月2日
本棚登録日 : 2018年8月2日

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