いまこそロールズに学べ 「正義」とはなにか?

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  • 春秋社 (2013年4月24日発売)
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《序章 「正義」と<Justice>似て非なるもの》
Justiceはもともと、「法」「権利」「正義」の3つの意味を兼ね備えていたラテン語の<ius>から派生した言葉であり、「法」との結び付きが強い。p16

現代の英米系の政治哲学の中心的なテーマになっている「正義」というのは、言うまでもなく、日本語の日常語として使われている、自らの信念にコミットして勇ましく突き進む"正義"ではなく、全ての当事者を一般的ルールに従って公正に扱う<justice>のことである。

英米圏の<Justice>→ルール・制度の範囲内、客観的
日本の「正義」→ルール・制度の範囲を超えて主観的

『正義論』(1971):「自由」と「平等」の両立を可能にする体系的な「正義」論を構想したうえで、合理的(rational)な人ならば、それを受け入れるであろうことを―彼独自の理論的な前提の下で―証明してみせた。p20
抽象的に「正義」を定義するだけにとどまらず、法や政治の具体的な制度の構築に応用可能な形で展開されたため、法学や経済学、政治学など、実証性が要求される社会科学からの諸分野からも注目されることとなった。

【ロールズ批判の7類型】p21
①功利主義原理(=最大多数の最大幸福)をベースにした経済・社会政策を構想する厚生経済学者たち
②国家が財の再分配を行うことに反対するリバタリアン(自由至上主義者)たち
③普遍的正義の存在を否定し、共同体ごとの価値(善)をより重視するコミュニタリアン(共同体主義者)たち
④ロールズの"平等"論は資本主義社会の構造的不平等を正当化するものだと批判するマルクス主義左派
⑤ロールズの"平等"論はジェンダー的不平等を隠蔽していると批判するラディカル・フェミニスト
⑥ロールズの正義論は西欧的な"自由"や"平等"を普遍的なものと見なす西欧中心主義の発想に基づいていると批判するポストモダン左派
⑦④〜⑥の陣営とは逆に、ロールズの正義論を、アメリカの古き良き伝統を破壊する左派思想の表面上は穏健な偽装形態と見て攻撃する保守主義者たち

【本書の構成】p23
思想史的な面から、ロールズ哲学の特徴を浮かびあがらせることに力を入れた。

《第1章 なぜ「正義」を問題にしたのか》p25
<メタ倫理学(metaethics)からはなれて>
:具体的な行動や選択の場面において、「何をすべきか」を論じるのではなく、倫理的な価値を表す「善」「正」「義務」などの概念を厳密に分析や、(科学的判断や他の価値判断と対比される)倫理的判断の性格付けを試みる倫理学の分野。
Cf. 英国の哲学者ムーア『倫理学原理』:「善good」を分析することの必要性。ラッセルの「分析哲学」と邂逅。

ピグー(ケンブリッジ学派)によって創始された「厚生経済学(welfare economics)」という分野は、「最大多数の最大幸福」を基本原理にしていることで知られている。
:「厚生経済学」は、限りある資源を―各個人の福利(well-being=幸福の度合い)の総和を最大化するという意味で―効率的に活用するには、どのように配分したらいいのかを探求する経済学の分野であり、WW2後、アメリカで飛躍的に発展した。
Cf. ケインズ派経済学者ハロッド「修正された功利主義」、児玉聡『功利と直観』

[功利主義の+ー]p35
「最大多数の最大幸福」を志向する功利主義は、時代遅れになった慣習や党派的な論理による恣意的統治を排除して、社会全体にとって有益な政策の立案には有用だが、ミルが指摘していたように、少数派の権利を切り捨てる恐れがある。加えて、その時々の多数派の欲求に従って、全面的な自由放任主義(≒経済的自由主義)、あるいは徹底した社会統制(≒社会主義)の両極のいずれにも大きく振れる可能性があり、制度的に安定した「正義」の原理を確立しにくい。

【3. 公正としての正義とは】p42
「公正としての正義 Justice as Fairness」:『正義論』の原型とも言うべき性格を持った論文であり、「社会契約」の形で、各種の社会的ゲームもしくは協力関係を可能にする―功利性の原理とイコールではなく、固有の実践的な意味を持つ―「正義」の原理を見出す、という基本的な着想が既に示されている。
彼が探求する「正義の諸原理 principles of justice」は、社会を構成する「実践」に従事する人の地位や職務を規定し、それらに権限や責任、権利や義務を割り当てるに際しての制約(restrictions)を定式化したものである。
ロールズは問題にしているのは、「全体としての利益」ではなく、「全ての当事者の利益」である。全ての当事者にとって、不平等のある状態の方が自分にとって有利であると信ずべき根拠があることが不平等の許容される条件である。
「幸福の増大」それ自体よりも「不平等の許容」に焦点を当てることで、功利主義的な道徳・政治に伴う危険を取り除こうとしたと見ることができる。
[原理]
第一原理:ルールの範囲内における自由を保証。「自由」を志向。
第二原理:ルールの範囲内で許される不平等の程度。「平等」を志向。
こうした正義の原理が受け入れられる根拠として、手続論的な方向での論証を試みている。
ロールズは「正義」を、諸個人がお互いの間で予め「契約」を結び、それに基いて自己の利益追求や権利の主張に制約をかけることとして理解する、「社会契約論」的な見方をする。
ロールズは、利己的な諸個人の間に生じてくる「正義」の基礎になるのは、お互いに対しての「公正さ fairness」であると指摘する。
→人々が日常的な実践において使っている「フェア(公正な)」という言葉に訴えかけ、その意味するところを「実践」に即して説明する形で、私たちが「公正さ」についての感覚を持っており、それが「正義」の基盤になりうることを明らかにする。
⇒正義の基礎=公正さ(フェアネス)→「公正としての正義」p48

【なにが「公正としての正義」を支えるのか】p51
「公正としての正義」から5年後の1963年に公刊された2本の論文で、ロールズは〜を二つの側面から補完している。Cf. 「正義感覚 sense of justice」「憲法=政治体制 constitution」
「正義感覚」:フェアに振る舞おうとする感覚で制度志向的な性質を持つ。 Cf. カントの「善意志 ein guter Wille」:義務を義務として尊重し、義務に基いて自らの行動を定める意志。『人倫の形而上学の基礎付け』

ロールズはカントの議論を、各人に固有の関心=利害を、全員が「原初状態」において承認するであろう「正義」の原理に従って、公正に扱うこととして読み替えているわけである。
「善意志」の中核的な機能を維持しながら、より現実的で、具体的な制度やルールに適用しやすいように"実体"化したものが、「正義感覚」であると見ることができる。
こうした意味でロールズは政治哲学における現代的カント主義者である。

(カースト制や奴隷制を鑑みて)いったん「平等な自由」を、当該社会の基礎構造の根底に置くと決めた以上、それと矛盾する制度、すなわち身分の違いや隷属状態を固定化し、それを子孫にまで及ぼすことを含意する制度を導入することは許されない。p59
ロールズの「公正としての正義」に基づく「憲法」は、各人の自由を形式的に認めるだけではなく、人々の利害=関心や信念が衝突した時に、各人の行動を抑制し、(憲法によって規定される)社会構造の枠内で均衡を保つように作用するわけである。p61

<5 分配的正義をめぐって>p62~
Cf. 「パレート基準」『経済学提要』:有限な資源の最適な配分のための基準。
【格差原理の導入】p65
「格差原理 difference principle」:人々が生まれ落ちた所得階級や、生まれつきの才能などが要因となって生じる格差を、一定の範囲内に収めることを目指す原理。→社会的・経済的にもっとも不遇な人たちの福利の向上が見込まれる限りで許容される格差のこと。
社会・経済的格差、言い換えれば、所得や財産の不平等が存在していることによって、幸運な人たちが頑張って働くよう動機付けられ、それによって社会全体が豊かになり、「最も不運な人たち」の福利も向上すると期待できるのであれば、その格差は正当化されるということ。
彼の特徴は、当該の社会全体が恩恵を受けているか否かの基準として、「最も不運な人たち」に照準を合わせていることにある。
競争を通して達成される効率性を重視し、不平等を容認する点で、彼の分配的正義は、社会主義的な平等論は一線を画しているが、「最も恵まれない人たち」の福利を基準にする点では、平等論的な要素を取り込んでいるといえる。Cf. 「効率性原理 efficiency principle」と適合。
【政府の役割】p67
①配分(allocation)②安定化(stabilization)③移転(transfer)④分配(distribution)
Cf. 「貯蓄原理 savings principle」:各世代は前の世代から受け取ったものに対する返礼として、貯蓄原理に従って実質資本での同等量を、社会のために残しておく。それを活用することによって、後の世代が高い生活水準を維持することが可能になる。ロールズは、これを世代間の互酬的な関係と見る。
→「完全な手続的正義 perfect procedural justice」eg. ケーキの切り分け。切り分けた者が最後の1ピースを取る。/ 「不完全な手続的正義 imperfect procedural justice」eg. 刑事裁判
⇒ロールズの分配的正義は、最も不運な人(の代表)の利益が最大化されることが期待される(とみんなが納得できる)制度を構築し、それが政府によって公正に運営され、何世代にもわたって維持されることを要請するが、その制度の下で最終的にどのような分配状態が生じるかまでは保障するものではない。
ロールズは、ケインズ主義的な調整装置を備えた資本主義経済を支持しているように見える。

フランス革命で掲げられた3つの標語、「自由」「平等」「博愛」がロールズの正義の2原理に対応していることが分かる―自由→第一原理、平等→第二原理(a)、博愛→第二原理(b)

「無知のヴェール the veil of ignorance」:各人がその社会の中で過去、現在、未来においてどのような地位にあるのか、自然の素質や才能において他者と比べて有利か不利か、どのような利害や選好を持つのかといった情報を一時的に遮断してしまう、仮想の装置。

ロールズは、「市民的不服従」を、法に反しているものの(市民たちの社会契約論的な合意によって基礎付けられていると見なすことのできる)立憲民主制の基本的枠組みから必ずしも逸脱しているわけではなく、むしろ、それを補強する性格を持った「公共的行為 public act」として捉え直そうとする。p80 「市民的不服従」→制度の安定化に寄与
この論法は、共同体の存在目的である最初の合意に立ち返ることで、共同体からの「信託」に反して行為する政府への抵抗権を基礎付けたロックの議論を、個別の法律に対する抵抗というミクロなレベルで応用したものとして見ることができる。Cf. 菅野喜八郎『抵抗権論とロック、ホッブズ』
両者に共通するのは、最初の合意が市民たちの間で有効であるならば、政府の決定に対する抵抗が、社会契約自体の無効化には繋がらず、むしろその目的実現のためのより良い方向性を目指す契機になる、という逆転の発想である。

ロールズは、"(多数派の制定した)法"の正当性を認めない「市民的不服従」という行為に、「立憲民主制」あるいは「法の支配」を正常に機能せしめるための補正装置としての地位を付与したことで、リベラル派の論客としての立場を明確にすることとなった。p82

《第2章 「自由」と「平等」の両立を目指して―『正義論』の世界》p83~
アメリカを始めとする西欧諸国の現存する立憲民主主義の諸制度が、大筋において「正義」に適ったものであることを示すと共に、国家創設=憲法制定の原点において、「正義」の原理の実現を目指す「合意」があったという推定に繋がる。
原初状態にある人々が、「正義」の原理に従って立憲民主主義的な政治を行うことに、それぞれの自由意志で合意すると推定できるとすれば、フランス革命以降、西欧の政治哲学の最大の課題であった「自由主義」と「民主主義」の原理的な両立という問題の解決にも繋がりうる。
ロールズの正義論の最大の特徴とでもいうべき格差原理は、社会主義的な平等主義、及び、古典的な自由主義のいずれとも異なる―ある意味、中道的な―ロールズの経済思想の特徴を示している。
弱者に優しいけれど、社会主義的な平等とは一線を画している、アメリカのリベラル派のイメージとしっくりくる経済思想だと言える。

<2. はじまりとしての「原初状態」>
【社会契約論を発展させて】p90
「社会的協働」のための枠組みを作ろうとしている人々が一堂に会する状況を想定し、そこで彼らが合意するであろう、最も基本的な「正義」の原理がいかなるものになるかを推測するわけである。
人々が最初に選択する「正義」の原理が、その後の社会の在り方、公共的な生活における人々の関係性を規定することになる。
「原初状態」:不公平で偏った判断をしないよう「無知のヴェール」に覆われた状態のこと。
Cf. 無知のヴェールの意味は、西欧諸国で裁判の正義の象徴として裁判所などに飾られている、剣と秤を持った「正義の女神」の彫像や絵画が、しばしば目隠しをした姿をしていることとのアナロジー。
様々な「善の構想(conceptions of the good)≒価値観」を持っている人々を、(誰かの利益に偏ることなく)「公正」に扱い、対等な立場で協働させるための枠組みを作ることを目指しているわけである。

<3. 「正義論」の仮想的>p96~
①「目的論」(teleology)との対決
ロールズは、目的論である功利主義に内在する問題として、「目的=善」として設定されていない、個人の自由や権利の保護や、功績や相応の賞罰に関する権利要求が考慮に入れられない可能性を指摘している。
個人の自由や権利に関わる「正」を、社会全体の「目的」としての「善」とは独立に定義し、両者が対立した時は、原則として「正」を優先するというのがロールズの「公正としての正義」の基本的な考え方である。このことはまた、「公正としての正義」が、各人がそれぞれのやり方で異なる「善」を追求するという前提に立ち、各人の「権利」の相互調整に重きを置いていることを意味する。
→「目的論」的な理論ではなく、「義務論(deontology)」的理論の系譜に属する。
②「直観主義(intuitionism)」との対決
ロールズは、直観主義の多元性を、単一の原理へと収斂させることが出来る点が功利主義の強みであることを認めるものの、功利主義だと先に見たような問題が生じるので、「公正としての正義」によって、「優先順位」を付けるのが適切であるという立場を取る。

<4. あらためて正義の二原理とは>p105~
第一原理は、「自由」一般に対する平等な権利というよりは、特に重要なものとしてリストアップされる「基本的諸自由 basic liberties」に対する平等な権利を保障するものであると見ることができる。
「基本財 primary goods」とは、人の合理的人生計画において、いずれにしても必要されるであろうと考えられる「財」である。
[第二原理の再定式化]p109
社会的・経済的な不平等は次の二条件を充たすように編成されなければならない―(a)そうした不平等が最も不遇な人びとの期待便益を最大に高めること、かつ(b)公正な機会均等という条件のもとで全員に開かれている職務や地位に付随する[ものだけに不平等をとどめるべき]こと。
「マクシミン・ルール maximin rule」:それぞれの選択肢を選んだ場合の結果の予想が複数ある場合、「最善の結果」や「結果の平均値」を比べるのではなく、「最悪の結果」が最もましなものを選ぶ、というもの。
「反省的均衡 reflective equilibrium」:理論と実践的反省を往復することで到達したベターな状態のこと。p115
Cf. 堀巌雄は、ロールズの方法論が、言語学・言語哲学における語用論(pragmatics)を背景としていることを指摘している。『ロールズ』p116
【「平均効用原理」との対決】p120
【世代間の格差をめぐって】p129
問題:格差原理の充足の主要な指標となる「社会的ミニマム」と貯蓄の間の適切なバランス。
ロールズが示している解決策のポイントは①貯蓄原理と「格差原理→社会的ミニマム」のバランスが、各世代の最も不遇な人々の視点から決められる、②第二原理の中では、公正な機会の原理が格差原理よりも辞書的に優先される
Cf. ケインズ『平和の経済的帰結』
正義の二原理の完全な制度化を一気に目指すのではなく、社会の発展状況、特に資本の蓄積状況を視野に入れ、徐々に正義に適った制度を実現していく、漸進的なやり方を模索している。p134
ロールズの「公正としての正義」は、脱制度的な要素をも含むことで、自己を補正・強化していく能動的な制度の構築を目指している。Cf. 「市民的服従」へのポジティブな視線

<8. 「正義」と「善」の関係をめぐって>
「善の希薄理論 thin theory of the good」↔「善の完全理論 full theory of the good」
ロールズは、「よく秩序付けられた社会 well-ordered society」に生きる人びとにとっての「善」とは何か実体的に規定し、方向づけるような議論は慎重に避け、「善」の意味の諸相をめぐるメタ・レベルの議論を続けている。p142

《第3章 ロールズの変容―『正義論』への批判を受けて》p147~
「不可能性定理」:ケネス・アロー
アロー「最も恵まれない人」を基準に考えるという点を、経済成長についての常識で曖昧にし、全ての階層の期待効用が同じ様に改善されると想定するのであれば、ロールズが拘っているはずの、マクシミン原理と、効用の総和の最大化を求める功利主義の区別は事実上消滅する。p153
「平均効用原理 principle of average」:ジョン・ハーサニ
論文「マクシミン原理は道徳性の基礎になりうるか―ジョン・ロールズの理論の批判」
Eg. NYからシカゴへの飛行機事故のリスク
「潜在能力 capability」:アマルティア・セン

【ロールズの返答―マクシミン基準の擁護】p156
問題なのは、第一原理と公正な機会均等原理によって、各人にとって基本的利益が確保された後で、平均効用原理と格差原理のどちらが選ばれるかである。
自らを、そしてお互いを「自由で平等な人格」と見なす市民たちの願望から、必然的にマクシミン基準が導き出されてくる、という(道徳)人格論的な論証を展開する。

[ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』第7章「分配的正義」]p161
①獲得の正義の原理に従って保有物(holding)を獲得した者は、その保有物に対する資格=権原(entitlement)を有する
②ある保有物に対する資格=権原を有する者から移転の正義の原理に従ってその保有物を得る者は、その保有物に対する権原を有する
③一と二を(反復)適用する場合を除いて、保有物に対する資格=権原を有する者はいない
ノージックは、生産のための「社会的協働」から分配における正義をめぐる問題が生じうることを一応認めたうえで、どうして最も恵まれない人びとの集団に有利な分配方式に人々が自発的に同意することになるのか、とそもそもの疑問を投げかける。p163
それまで人々が個別に獲得してきた「権原」をないものとして、一定のパタン化された結果に到達しやすいよう、基本剤をゼロから"分配"し直すかのような原理に合意することが、合理的な判断なのか。

【ロールズの返答―「基礎構造」の問題】p167
リバタリアニズム理論は、「基礎構造」を視野に入れていない。
全てを私的契約関係に還元しようとするリバタリアンの理論は「社会契約論」ではない。

ロールズは「無知のヴェール」という装置を通じて、人間に本来備わっている二つの道徳的な力(moral power)が表現されると主張する。
①「合理的になる能力 the capacity to be rational」:自らの善の実現を追求すること
②「道理的になる能力 the capacity to be reasonable」:協働のための諸条件に配慮すること p179
⇒ロールズは、各人の「善の構想」を実現するために必要な二つの道徳的な力が、「原初状態」と「契約当事者」たちに関する想定の中に既に含まれているので、彼等は必然的に、基本的諸自由を他の基本財よりも優先する形で保障する、正義の二原理に合意することになると見ている。

<4. ロールズのカント主義的転回>p184~
論文「道徳理論におけるカント的構成主義(Kantian Constructivism)」(1980)
「構成主義」:一定の規則に従っての推論を体系的に展開する中で、諸概念を導き出すことを特徴とする。↔「直観主義」
ロールズは、カント道徳哲学におけるそれと似た、道徳的能力を備えた人格を前提として組み込んだ構成的手続きに従って、第一原理を導き出すことを「カント的」と呼ぶ。
【「道理的なもの」による「合理的なもの」の制約】
⇒個人にとっての善(幸福)に関わる「合理的なもの」が、社会的協働の公正な条件に関わる「道理的なもの」による制約を受けることになる制度的枠組みが―「原初状態」での合意に従って―構築されており、ある市民がその枠組みに適合するように振る舞うのであれば、たとえ個人的な欲求によって動かされているのだとしても、「完全に自律している full autonomous」と見なされる。p188
「合理的なもの」≒「経験的実践理性」
「道理的なもの」≒「純粋実践理性」→「実践理性の統一性」
△「カント的構成主義」は、実践理性の二つの側面を、「原初状態」にある「契約当事者」たちの熟議の方向性を規定する「合理的なもの」と「道理的なもの」の関係に読み替えたうえで、制度の面から両者の―後者が全面的に優位になる形での―"統一"を図る試みと見ることができる。p190 →ロールズが反功利主義の文脈で強調する、「善」に対する「正」の優位へと繋がるわけである。
[手段としての基本財]p 191 Cf. 論文「社会的統一と基本財」
「基本財」は、それ自体として各人の欲求を充足してくれる「財」であるわけではなく、「道徳的人格」が、二つの道徳的な力によって、自己の「目的」である「善の構想」を追求するために様々なやり方で利用することができる「手段」なのである。

<5. 「形而上学」から「政治」へ>p191~
論文「公正としての正義―形而上学ではなく、政治的な」
「政治的」=「立憲民主主義的」
深いレベルでの一致を無理に目指すことなく、お互いの価値観・世界観に対しては干渉せず、共通の利益に関わる公的事柄に関してのみ一定のルールの下で集団的自己統治を行う、というのが、立憲民主制の大原則である。
「形而上学的」:深い価値観の一致。基礎あり。
「政治的」:民主主義的な一致。基礎なし。
「公正としての正義」は、西欧の民主主義諸国の伝統に適合する、現実的な「政治的構想」であって、歴史や地域を超えて普遍的に打倒する「真理」を現実化しようとしているわけではない。
「重なり合う合意 overlapping consensus」:前提ではなく、結論だけのゆるい合意のこと。

<第4章 「正義」の射程はどこまでか―「政治的リベラリズム」の戦略>p203~
「政治的リベラリズム」:前提の共有は目指さず、結論の部分だけの合意を目指す。
歴史的・経験的な知見に訴えかける論証へと戦略的にシフトしているのである。
「公正としての正義」は、当該の社会に存在する様々な宗教的・哲学的・道徳的教説のいずれにも優先することなく、自由と平等を実現する基礎的諸制度を構築するためのガイドラインとして、全ての市民たちにとって最も受け入れられやすい構想であることを示そうとする。
「道理に適った多元性 reasonable pluralism」:道理的に思考する市民たちに支持される道理に適った包括的諸教説が多元的に存在していること。
「政治的構成主義 political constructivism」:価値観・世界観の違いを越えて、公共的な事柄に関して協働するためのプラットフォーム(だけ)を提供する。
考え方の筋道がどうであれ、基本的な問題について、同じ結論に到達すればいい。そうした形而上学的レベルでの相互寛容によって、「重なり合う合意」が可能になるのである。
「立憲的合意 constitutional consensus」から「重なり合う合意」への移行には「深さ depth」と「広さ breadth」、そして、その内容の特定化の3つの面での更なる発展が必要である。
正義の諸原理(に従って形成される基礎構造)によって、包括的教説が追求する「善の構想」に一定の制約が課されること(=「善に対する正の優先)が指摘される。p226
「公共的理性 public reason」:集団として物事を決める際に用いられる論理・推論、理由付け。「公共的理性」が管轄するのは、社会全体に関わる意思決定である。「公共的理性」によって制約を課されるのは、社会の「基礎構造」と「立憲的必須事項」をめぐる論議である。具体的には、誰に投票権があるのか、どの宗教が寛容されるべきか、誰が公正な機会均等を保障されるべきか、所有権を持つべきか、といった政治的価値によってしか解決できない問題である。
△「公共的理性」は、「基礎構造」や「立憲的必須事項」に関連する市民たちの討論・探求が、「重なり合う合意」の核にある「正義の政治的構想」の枠内に留まるよう、制約を加えるガイドラインの役割を担っている。p230
[制度的保障としての「最高裁判所 supreme court」]p231
「最高裁判所」の理性は、「公共的理性」の典型である。
(最高裁判所は)道理的かつ合理的な存在として全ての市民たちがコミットすることが期待される、「政治的諸価値」を公共的に呈示する教育的役割を果たしているという。

【ハーバーマスとの対話】p237
ハーバーマスにとって、特定の正義の構想を、理性に適った唯一の解答として正当化しようとしているに見える、ロールズの議論は、「理性法」をめぐる形而上学的思考の産物に他ならなかった。
ロールズとハーバーマスの"論争"は、目指しているところはほぼ一致しているものの、理論上の道具立てが異なっているため、実体以上に違いが強調されて見える、ということを確認する形で終わった。

<5. グローバルな正義を目指して>p243~
【「政治的リベラリズム」から「万民の法」へ】
93年「オックスフォード・アムネスティ講義」
「万民の法 The Law of Peoples」というタイトルで『正義論』における[原初状態―無知のヴェール]論を、国家間の正義の問題へと拡大することを試みた。
「万民の法」:(諸国民ではなく)諸民衆 peoples を法の主体として多国間における「正義」を目指す。
[原初状態の二段階化]p246
ロールズは、各国民衆の間の協働の形態として、統一政府を持った「世界国家 world-state」ではなく、「結社 association」もしくは「連邦 federation」が選ばれるであろうと予測する。
「良識ある諮問階層制 decent consultation hierarchy」:宗派、民族、氏族、職業、階層、地域などを単位として組織される諸団体が、それぞれそのメンバーの意見を吸い上げて、国政に反映するようなシステムが出来上がっているということ。
【グローバルな意思決定のあり方】p255
「公共的理性」は、実質的に、第一段階の「原初状態」を経ることで、「正義」に関する諸概念を既にかなり共有している西欧諸国に有利に働く可能性がある。

<終章 「正義」のゆくえ―ロールズが切り開いた地平から>p259~
「リベラリズム」に哲学的バックボーンを与えるものとして期待されたのが、「原初状態」と「無知のヴェール」という道具立てによって、格差原理を正当化することを試みた、ロールズの「公正としての正義」である。
「公正としての正義」は、功利性原理に代わって、「正義の二原理」をリベラルな政治哲学の基本原理にすることによって、「自由」「平等」「(経済的)効率性」の三要素を体系的に組み合わせる方法を呈示した。
これによって、古典的自由主義と、社会主義の両極の間で埋没することのない、第三の道が切り開かれたと見て、強く刺激を受けたリベラルの論客は少なくなかった。
彼の正義論は、「最も不遇な人」に共感し、常に利他的に振る舞う聖人になることを私たちに強いるものではなく、個人の自己中心的な選択を社会的協働のための諸制度の樹立へと誘導している、私たちに自然と備わっている社会的想像力を"もう少しだけ"拡張することを要請する、ささやかな提案なのである。
彼にとって「格差原理」は、単に分配の基準を示すだけではなく、生産活動に従事する人々にやる気を出させる、現実的な政策指針であった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 政治思想・哲学/正義論
感想投稿日 : 2013年7月19日
読了日 : 2013年7月25日
本棚登録日 : 2013年6月5日

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