新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2004年7月15日発売)
4.27
  • (161)
  • (92)
  • (58)
  • (5)
  • (2)
本棚登録 : 1935
感想 : 149
5

水俣湾周辺の漁村で水俣湾からとれた魚を食べた猫たちが多数死んでいっていることが分かったのが1953年のことである。後にチッソ水俣工場から排出される廃液に含まれる有機水銀が原因であると分かるが、当時は、原因不明の中枢神経系疾患とされた。そして、患者には猫だけではなく人間も含まれるようになる。1956年の5月1日に、5歳と2歳の姉妹が水俣病と最初に診断される。これが水俣病の正式発見の日である。
その後、原因をめぐって、また、補償をめぐって闘争が繰り広げられていく。1968年になって政府が水俣病を公害病と認定し、この年に、水俣工場からの有機水銀の流出が止まる。法廷闘争の方は、初の判決が1973年に熊本地裁で下され原告・患者側が勝利する。
闘争は順調に進んだわけではない。会社側・国・行政との闘いに加え、市民からの差別や、市民の一部は、町唯一の大企業であるチッソがなくなると困るために患者側の闘争を支持せず、時に妨害をしようとした。また、患者側も一枚岩ではなく、6派に分かれており、患者を支援する団体の間でも対立があった。
そして、闘いは今も続いている。2021年8月末現在、認定患者は2283人(うち死亡1988人)。約1400人が認定申請中。また、約1700人による損害賠償訴訟なども各地で継続中である。

私が読んで感想を書いているのは、2004年第1版発行の、講談社文庫の「新装版 苦海浄土 わが水俣病」である。本書の来歴として、「本書は、1972年12月に刊行された講談社文庫"苦海浄土-わが水俣病"の新装版です。新装版刊行にあたり、原田正純氏の解説"水俣病の50年"を加えました」と補足説明が加えられている。また、1972年の講談社文庫版のオリジナル版の「あとがき」を石牟礼道子は1968年12月に書いている。従って、本書が扱っているのは、1968年の政府による水俣病の公害病認定までということになる。「苦海浄土」は、第2部、第3部と続いているが、それらは、公害病認定以降を扱っているのだろう(実際に読んでいないので推測で書いているが)。

本書は有名な本であり、以前から読んでみたいと思っていたが、なかなか読む機会を得なかった。今回、読み始めて、一気に読むこととなり、また、内容にも圧倒された。水俣病に関しての本としては、米本浩二著「水俣病闘争史」という本を読んだことがあるが、「水俣病闘争史」が、水俣病の全体像を客観的に記録しようとして書かれたのに対して、本書「苦海浄土」は、水俣の地元に住んでいた主婦である石牟礼道子が、水俣病を自分事として、やむにやまれず書いたという風な本である。正確な記録を残そうということではなく、石牟礼道子が、水俣病をどう見たのかが徹底的に石牟礼道子の視点で記されている。

全編、圧倒的な内容の本であるが、私が最も心を動かされたのは、「第三章 ゆき女きき書」「第四章 天の魚」であった。
第三章は、坂上ゆきという水俣市立病院に入院している水俣病患者について書かれている。坂上ゆきは、天草出身で、水俣の漁師である、坂上茂平のところに嫁いできて、水俣病に罹患する。
第四章は、水俣の漁師一家である、江津野家について書かれている。江津野家は、老夫婦と、水俣病に罹患している息子、そして、老夫婦からみた幼い孫3人の6人家族である。孫のうちの1人である杢太郎少年9歳も水俣病に罹患している。老夫婦の息子は働くことが出来ず、一家は、老夫婦に対しての生活保護をあてにして暮らしている。息子の妻は離婚して、この一家を出ている。貧しく悲惨な一家である。
第三章、第四章ともに、中心は「聞き書き」である。第三章は、坂上ゆきに対して、第四章は、江津野家の老父に対して(「聞き書き」と言えば、インタビューのようなものを思い浮かべるかもしれない。実際、本書には2人の「問わず語り」的なモノローグが描かれているが、実際には、これらは、石牟礼道子の「創作」であるらしい)。
モノローグの中で2人は色々なことを語っているが、私が最も心を動かされたのは、現実の悲惨さについて語っている部分ではなく、過去、漁に出た時に、それが如何に美しいものであり、如何に幸せな経験だったかを語っている部分である。ここに全てを引用したいが、そういう訳にもいかないので、第四章の老父のモノローグの一部を紹介したい。方言で書かれているので、少し読みにくいかもしれない。かなり長い引用になることをお許しいただきたい。このモノローグは、老父が石牟礼道子に対して、焼酎を飲みながら語ったとされている。焼酎の酔いが廻るにつれて饒舌になっていく様を想像しながら読んでいただきたい。漁に奥さんと一緒に出た時の様子である。文中の「あねさん」は石牟礼道子のこと。

【引用】
そら海の上はよかもね。
海の上におればわがひとりの天下じゃもね。
魚釣っとるときゃ、自分が殿さまじゃもね。銭出して行こうごとあろ。
舟に乗りさえすれば、夢みておっても魚はかかってくるとでござすばい。ただ冬の寒か間だけはそういうわけにもゆかんとでござすが。
魚は舟の上で食うとがいちばん、うもうござす。
舟にゃこまんか鍋釜のせて、七輪ものせて、茶わんと皿といっちょずつ、味噌も醤油ものせてゆく。そしてあねさん、焼酎びんも忘れずにのせてゆく。
(中略)
さあ、そういうときが焼酎ののみごろで。
いつ風が来ても上げられるように帆綱をゆるめておいて。
かかよい、飯炊け、おるが刺身とる。ちゅうわけで、かかは米とぐ海の水で。
沖のうつくしか潮で炊いた米の飯のどげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことのあるかな。そりゃ、うもうござすばい。
(中略)
そこで鯛の刺身を山盛りに盛りあげて、飯の蒸るるあいだに、かかさま、いっちょ、やろうかいちゅうて、まず、かかにさす。
あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。
これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。
寒うもなか、まだ灼け焦げるように暑うもなか夏のはじめの朝の、海の上でござすで。
(中略)
かかさまよい、こうしてみれば空ちゅうもんは、つくづく広かもんじゃある。
空は唐天竺までにも広がっとるげな。この舟も流されるままにゆけば、南洋までも、ルソンまでも、流されてゆくげなかが、唐じゃろと天竺じゃろと流れてゆけばよい。
いまは舟一艘の上だけが、極楽世界じゃのい。
そういうふうに語りおうて、海と空の間に漂うておれば、よんべの働きにくたぶれて、とろーりとろーりとなってくる。
(中略)
婆さまよい、あん頃は、若かときゃほんとによかったのい。
【引用おわり】

本書のタイトルは「苦海浄土」である。「苦海」とは、「くかい、くがいとも。仏語。苦しみの絶えないこの世のことを海にたとえていう語。苦界(くがい)」ということ。一方、「浄土」とは、「仏語。一切の煩悩やけがれを離れた、清浄な国土。仏の住む世界」ということである。調べてみても、「苦海浄土」という言葉はないようであり、「苦海浄土」は石牟礼道子の造語なのであろう。水俣病によって引き起こされた「苦しみの絶えないこの世」、特に水俣湾という「海」は「苦海」である。しかし、そのような「苦海」を、この江津野老父のように、以前は「極楽浄土」として考えていた人たちがいる。逆に言えば、水俣病が「浄土」を「苦海」に変えてしまった、そのような意味だろうか。
私自身は、水俣には1回だけ仕事で行ったことがある。水俣の前に宮崎で用事があり、日豊本線、鹿児島本線経由で水俣に入ったように記憶している。20年以上前のことなので、記憶は曖昧であるが、水俣に向かう列車の窓から見える海はとてもきれいで、ここが、あの水俣病の起こった場所とは思えない、と感じたことを覚えている。
水俣病に関しての歴史的事実、そこに関係した方々の苦しみは、簡単な解釈を許さないものがあるが、本書は石牟礼道子が、あくまでも「自分の視点」では、どのように水俣病が見えたかを書いたものである。最初に書いたが、内容・読後感は「圧倒される」ものであった。このような本を読むことが出来て良かったと素直に思える。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年3月3日
読了日 : 2024年3月3日
本棚登録日 : 2024年3月1日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする