ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2002年9月1日発売)
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同盟者戦役中のポントス王ミトリダテスの小アジア進出から、ポンペイウスによるユーフラテス以西平定まで。前半は、マリウスとスッラがミトリダテス戦役への出兵を奪いあったことに端を発する。以下、政争におけるマリウスの勝利、スッラとその私兵による首都占領と虐殺、スッラによる選挙法改正の是正、スッラによるミトリダテス戦役出兵、スッラの留守に行われたキンナによるマリウスの名誉回復、首都に帰還したマリウスのスッラ派虐殺、マリウスの死、キンナの台頭、スッラのアテネ占領・ミトリダテスとの講和・オリエント平定、そして、ローマへの帰還、自ら独裁官に就任したあとの改革などである。スッラは市民権問題には手をつけなかったが、小麦法の全廃、植民地建設、元老院の定員倍増(600人)、陪審員の元老院独占、年功序列のキャリア導入、軍隊のシビリアン・コントロール、地方改革、護民官の弱体化などを行った。つまり、元老院の力を大きくし社会保障を削った保守改革である。市民派と元老院派に分かれて揺れていたローマはとりあえず、元老院体制を維持して安定したかにみえた。後半は、スッラに才能を認められたポンペイウスの活躍である。安定したかにみえたスッラ体制だが、元老院の人材枯渇は深刻で、結局、スッラの弾圧をのがれたセルトリウスに対して、まだ若いポンペイウスを起用せざるをえなくなり、年功序例のシステムは崩れた。また、スパルタクスの反乱、クラッススによる鎮圧、その後のクラッスス・ポンペイウス体制によるスッラ体制の浸食(陪審員への平民・騎士階級参加、小麦法の復活)、ポンペイウスによる海賊討伐、ミトリダテス征討、ユーフラテス以西の平定などによって、元老院の影響力は低下し、実力が支配する。このころ、キケロやカエサルもローマ史に登場する。キケロは属州シチリアが総督を訴えた事件でシチリアの弁護にたった。カエサルはスッラの粛正リストから、からくも逃れた。また、七年もの間、小アジアでミトリダテス相手に10倍の軍隊に勝ち続けたルクルスも興味深い人物である。能力はあったが優秀すぎて兵士とのコミュニケーションがとれなかったために、功をポンペイウスに譲ることになった。引退後は美食を行い、豪奢な屋敷をたてた。ルビコン川以南に軍隊を伴ってはならないと定めたのはスッラだ。また、ユダヤを属州にしたのはポンペイウスである。歴史上重要なことが起こっている。とにかくいえることは、優秀なシステムも実力を備えた人間がいなければ機能しないということである。しつこく蜂起するミトリダテスのローマ帝国主義批判も一部聞くべき内容はある。キケロの「平和のための必要経費」という視点も現代に通じるものである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2012年3月14日
読了日 : 2012年3月14日
本棚登録日 : 2012年3月14日

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