何者 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2015年6月26日発売)
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本棚登録 : 20885
感想 : 1862
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初読みの小説家様です。というか、朝井リョウという作家は昔から知ってましたが、なぜか芥川系の方だとばかり思い込んでて、エンタメが大好きなので避けてました。それなのに今さら直木賞受賞作と知ったので、驚いた勢いのまま手に取った次第です。

感想としては、なんかしんどくて切なかったです。
読み始めた時は、このタイトルは「何者」じゃなく、「何様」だったっけと表紙を見返してしまったほど、主人公が上から目線の分析で語り続けるので、モヤモヤというかムカムカしながら読み始めました。
そのせいか、読んでる最中、頭の中で「ファイト!」のサビの部分が何度か頭の中で流れてた。(戦う君の唄を戦わない奴らは笑うんだろーってやつ)
で、そのうち登場するSNSの状況から、あーこれゆとり世代の就活かとやっと気づきました。遅いですが。
自分はこの世代じゃないし身内もいないから、イメージだけなんですけど、ゆとり世代って、子供を褒めて育てて、個人個人に順位をつけず公平にする、親も先生も子供に寄り添い個性を大切にするなどなど、子供を守っていたような記憶があります。
もちろん昭和の詰め込み教育などが良いと思っているわけではないけれど、昭和の反動なのか知りませんが、急に腫れ物を扱うように子供を守ったら、逆に将来的に可哀想じゃない?社会出たらシンドイよ?と、当時ふわっとしか「ゆとり」というものを知らなかった私は思っていました。
ですが、瑞月のセリフの中で、

「最近わかったんだ。人生が線路のようなものだとしたら、自分と全く同じ高さで、同じ角度で、その線路を見つめてくれる人はもういないんだって」
「今までは一緒に暮らす家族がいて、同じ学校に進む友達がいて、学校には先生がいて。常に自分以外に、自分の人生を一緒に考えてくれる人がいた。学校を卒業しても、家族や先生がその先の進路を一緒に考えてくれた。いつだって、自分と同じ高さ、角度で、この先の人生を見てくれる人がいたよね」
「だからこれまでは、結果よりも過程が大事とか、そういうことを言われてきたんだと思う。それはずっと自分の線路を見てくれる人がすぐそばにいたから。そりゃあ大人は、結果は残念だったけど過程がよかったからそれでいいんだよって、子供に対しては行ってあげたくなるよね。ずっとその過程を一緒にみてきたんだから。だけど、もうね、そう言ってくれる人はいないんだよ」

この辺りのセリフ、本気でビックリしました。
「いや、最初っからそんな守り人いねーよ」と。この気持ちわかってくれる他の読者の方いらっしゃいますよね?
ゆとり世代って、想像を遙かに超えるほど手厚く守られてたんでしょうか? だとしたら、むしろこの状態で就活させて社会に放り出すの、鬼畜でしょ。
昭和にも上昇志向が高い「何者」かになりたい人は当然いました。平成だって、令和だって当然います。
だけどある意味、この時代の子供達だけは、ゆとりという教育方針の下、『現実は守ってくれる人などおらず、不公平で、理不尽は当たり前』ってことを教えてもらわない状態で就活に立ち向かわせ、その成長過程で実際はあるかどうかもわからない個性と肥大化した自尊心だけで、社会に放り出したのかと。
まあ、そんな子ばかりだとは思わないけれど。
でもこの本は、読んでてそんな気分にさせられて妙に切なかった。
この本の中の学生達が、就活で苦しみ、SNSも黎明期でネットリテラシーも充分に確立されてない状態で利用し振り回され傷つき、自爆していくさまが結構キツかったです。もうハッキリ言ってしまえば、ただのこじらせた裏垢男子の話だよこれ。
読み始めは主人公や隆良に対して、なんかこじらせたヤツだなというイライラ感があったんだけど、女子らからその辺ド直球の正論で突っ込まれてたけど、読んでて全然スッキリしなかった。光太郎という存在も、この本の中の毒々しさを薄めらんなかった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年3月20日
読了日 : 2024年3月19日
本棚登録日 : 2024年3月18日

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