人はどこまで合理的か 上

  • 草思社 (2022年7月12日発売)
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人間は非合理的な存在だと言われることが良くあるが、本書の筆者は、人間が合理性を持っているということと、合理的に判断をすることは有益であるということを信じている。

確かに人間は一見非合理的に見える判断をすることがあるが、筆者はまずそれらの判断の中にも合理性を持ったものがあるということを説明する。例えば、進化心理学の研究を通じて、人は複数の目的の間の葛藤や時間選好の問題(すぐ得られる便益と先まで待つことにより得られる便益の間の重み付け)に直面しており、それらに対する判断は一見非合理的に見えても、何らかの論理性を持って判断していることも多い。

また、敢えて無知でいることの方が合理的であることや、少しの犠牲やコストを払ってでも協力することによって、社会全体で便益を押し上げることができるということ、そしてそれらが道徳や社会のルールという形で、私たちが単独では非合理的でも全体で合理的な方向へ行動することがあることも示している。

一方で、我々が合理的に判断するべきであるにも関わらず、非合理的な判断を下してしまうことも多々ある。これらの中には、感情に左右されて合理的な判断ができない状態にあるときだけではなく、我々の持つ認知システムが、経験や勘といったものに左右されやすく、不注意からそのようなものに引きずられて判断してしまう傾向があるからである。

本書では、我々はどのようにすればこのような自らの認知システムの特徴を認識し、合理的な判断をできるようになるのかを、様々な角度から解き明かしている。

上巻で説明されるのは、形式論理、確率、ベイズ推論である。

形式論理は、非合理的な判断から逃れるための強力なツールである。問題をその文脈や個別性から切り離し、真理値表に基づいて前提条件から結論を導いていく。形式論理にも「後件肯定」や「前件否定」等、我々が間違いやすい落とし穴はある。ただし、トレーニングを積むことで形式論理を正しく活用することができるし、この技法はその形式性から、コンピューターに実装することもできる。

形式論理は強力なツールではあるが、当然、その限界も存在する。すでに述べたように文脈や個別性から切り離す形で問題を定式化するため、時に問われていることを十分に問題として表現できず、論理的に正しくても意味がない結論や頓珍漢な結論を導き出すことがある。

また、人間は論理的な包含関係を超えて、ヴィトゲンシュタインが家族的類似性と呼ぶようなまとまりで物事を認識することができる。AとBには共通性がある、BとCにも共通性がある。しかし、AとCに共通する属性は存在しない。このような場合にも、その関係性のネットワークを人間は一つの概念として捉えることができる。しかし、このような関係性は形式論理で扱うことは難しい。

余談ではあるが、形式論理では扱いにくいこのような関係性を、深層学習のような多層のニューラルネットワークを使うことで、コンピューターで表現することができるようになったという話は、興味深かった。

確率は、形式論理とは異なり、我々の日常生活の中でも頻繁に使われ、それだけに誤用も多いツールである。筆者は、確率には統計的な意味での確率の他に、我々の心理的な確証や主観的な判断、また信頼の度合いを表す表現など、様々な意味合いで使われているからであると言う。

さらに、認知心理学において「利用可能性ヒューリスティック」と呼ばれる我々の認知の傾向により、我々の周辺環境に対する確率の予測は歪められる。よく知っていること、大きく取り上げられたこと、特徴的なできごとは、頻繁に起こっていると勘違いしやすい。そのため、我々は統計的な確率で表されたことを無視したり誤っていると考えたりもしやすい。

しかし、確率も正しく計算すれば正しい結論を与えてくれる。筆者は、「Aではない」確率の計算や条件付き確率の計算をしっかりと身につけることの大切さを説いている。また、我々が後知恵の結論を確率的に表現しようとしたり、本来は確率的に起こりうることに対して「幸運の連鎖」のような特徴を見つけようとしたりする傾向があるなど、確率的な議論をするときに気をつけるべきことを教えてくれる。

上巻で最後に取り上げられるのは、ベイズ推論である。様々な確率的な事象において、我々はその真の確率の値を知ることはできない。そのため、我々は真の確率の値に対する仮説を立てることしかできない。ベイズ推論は、この真の確率に対する仮説を、データをもとに修正していく方法である。

ベイズ推論では、尤度と呼ばれる仮説が真であるとすれば実験結果のようなデータが得られる可能性がどの程度かを表す概念を導入する。そして、我々が事前に予想した事前確率を、「事後確率=事前確率×尤度/周辺確率」という式を用いて、より尤もらしい確率(事後確率)へと更新していく。

このベイズ推論は、データの解析に使えるだけではなく、我々が合理的な判断を行う上で大切なことを教えてくれている。その一つが、基準率の大切さであるという。基準率を無視してしまう事例とは、例えば、医療診断の結果が陽性であったときに、母集団の中でその疾病がどの程度あるかを考えずに検査の制度と検査結果だけで真陽性である確率が高いと判断をしてしまうということである。実際には、非常に出現頻度が低い事象を検出するためには、検査自体にも非常に高い精度が求められるため、検査結果だけを見つめていては正しい答えは得られない。

筆者は、このことを分かりやすく理解するためには、確率を具体的な頻度の数字に置き換えて考えればよいと説明してくれている。パーセンテージで表された尤度や事前確率などだけで考えるのではなく、それを1,000人や10,000人の母集団に当てはめて実際の値に計算し直してみると、基準率の大切さは非常に直感的によく分かる。

本書はこのように、論理学や数学の概念を具体的で分かりやすい例で解説してくれている。それによって、それぞれのツールがどのような局面で我々の判断を助けてくれるのかを理解することができる。

また、筆者は合理性というものを論理的な整合性という狭い定義で理解してはいない。むしろ合理性の中に敢えて無知であることの合理性や、形式的論理が導き出す無意味な結論を避けることも、合理性を保つためには必要であると考えている。

また、合理的な推論の手法を徹底的に適用することで、社会的な公正が保たれないこともあり、そのような際には手法の活用に注意が必要であることにも触れられている。例えば、社会的な事象(犯罪率や収入等)を、人口統計的なカテゴリー(性別、人種、居住地等)で類型化して分析することは、ともすると特定の属性の人を差別することにつながる可能性がある。このような場合には、データを用いた意思決定が社会において合理的な判断はないということもある。

合理性に対するバランスの取れた見解と、様々な分析方法の分かりやすい説明で、我々が合理的な判断をするために必要な知識や考え方を教えてくれる本であった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年12月11日
読了日 : 2022年12月7日
本棚登録日 : 2022年12月4日

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