答えのない世界に立ち向かう哲学講座――AI・バイオサイエンス・資本主義の未来

著者 :
  • 早川書房 (2018年11月6日発売)
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著者の岡本裕一郎が書いた『いま世界の哲学者が考えていること』は、AIやIT、バイオ技術、資本主義など極めて現代的な課題に哲学も取り組んでいることを説明していた。哲学といっても、一般には哲学の範疇に含まれないであろう人の考えもまとめて「哲学」としたその考え方はとても新鮮で面白かった。著者は、哲学とは、本来「自らが生きる時代においていったい何が起こっているのか」を問うものであると規定する。これには大いに賛同する。そうであれば、AIやバイオといったテーマが哲学において取り上げられるのは当然だとのことだ。

本書は前著『いま世界の哲学者が考えていること』でテーマとした「人工知能」「バイオサイエンス」「資本主義」について、著者が行ったビジネスマン向けの八回の講座を書籍化したものである。カントの「哲学を学ぶことはできない。哲学することだけを学ぶことができる」という言葉が正しいとすると、講座の形が「哲学」としてある種正しい形だと言えるのかもしれない。なお各回の後にはゲスト講師や生徒との質疑応答が収められてる。

AIについては、自動運転とサンデルで有名になったトロッコ問題を絡めて、責任論が議論される。自由と責任と人権といった哲学ではお馴染みのテーマが議論される。課題図書として、ダニエル・デネットの『心はどこにあるのか』が取り上げれる。デネットは意識についての進化論的説明で有名で、一般に思われている自由とは異なる様式で自由を捉えている学者だ。単なるヒューマニズムではない領域でAIを扱うのに最適な課題図書であろうかと思う。権利と責任論を論ずるにあたり、AIは「心」を持つことができるのかという議論をするには適任だ。また、「AIやロボットの導入によって、人間が労働から解放される社会」が実現するとすれば、後のテーマである資本主義にも大いに関係する議論にもなる。かくもAIの射程は相当に広い。

バイオサイエンスについては、遺伝子改変技術がどこまで許されるのか、がテーマとなり、優生学と生命倫理について議論される。ここでは、バイオだけでなく、脳神経科学の知見から、哲学の自然主義的転回についても議論される。自分の考え方が、哲学の自然主義的転回の流れに沿ったものであり、だからこそここで議論されている自然主義的転回に抗するマルクス・ガブリエルに対して大きな違和感を持っているのであろうことも筋立てて理解することができた。著者もマルクス・ガブリエルに対しては、その試みはよしとするが内容については批判的だ。さらに、ラジャンの『バイオ・キャピタル』が紹介され、バイオテクノロジーについても後のテーマの資本主義とつながることが示されて面白い。
課題図書はユルゲン・ハーバーマスの『人間の将来とバイオエシックス』。ハーバーマスの本が読みたくなったし、数十年の積読本であるアドルノの『啓蒙の弁証法』も読みたくなった。

資本主義については、経済格差問題を見て自由主義の是非が議論される。資本主義における貨幣の問題は、マルクス以来の大きな関心事であるが、ビットコインなどの新しい技術が貨幣の概念や金融システムに与える影響についても触れられる。
共産主義者でもあるスラヴォイ・ジジェクは「壊滅的な危機においても、資本主義に代わる実効的なものはないということがわかったのである」と述べたが、これに対してマルクスから資本主義を探求した柄谷行人が、資本主義は「主義」ではない、なぜなら資本主義は選択できるものではないからだ、と言ったことを思い出した。今や資本主義の対義語は、社会主義でも共産主義でもないのだが、それが当たり前になったのはそれほど昔のことではないのだ。
資本主義の問題は、国家論にも発展する。ネグリ=ハートの「帝国」やウォーラーステインの「世界システム論」、実社会におけるGAFAなどのグローバルテック企業の存在が何を意味するのかなどが議論のテーマとなる。国家自体の定義や国家と市場の関係も実はそれほど自明なものではない。「「資本主義とは何か」と問うことは「近代とは何か」を問うこと」になるのだ。著者は、ドゥルーズの「分人主義」についてもある種の可能性として語り、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』もその流れにあるとみている。フーコーが提起した近代社会における規律と個人の身体の管理も新しい時代においては変化していくことになるのでは、という。それがどういうものになるのかというのが今後の課題となるのだろう。
課題図書はマルクスの『経済学批判』。そこまで戻ることはなかったのではと思うが、資本主義を初めて哲学的観点から議論に足るレベルまでその基礎について考えたのがマルクスだったということでよいのだろう。

講義を書籍化したものには、外れも多いが、この本はテーマが明確であり、また編集も頑張っているのか読みやすく面白いものに仕上がっている。それぞれのテーマを考える上でのブックガイドが収められているのも、ベースになる論点の確認や、もう少し深堀りしたい際には役に立ち、親切である。
最後に、そのブックガイドから読んだ本と興味を持った本を挙げておく。こういう本を読むと紹介される色々と関連する本が読みたくなるので困る。

[読んだ本]
・『方法序説』 ルネ・デカルト
・『道徳の系譜学』 フリードリヒ・ニーチェ
・『人工知能は人間を超えるか - ディープラーニングの先にあるもの』 松尾豊
・『MIND 心の哲学』 ジョン・R・サール
・『ゲノム編集の衝撃 - 「神の領域」に迫るテクノロジー』NHK 「ゲノム編集」取材班
・『完全な人間を目指さなくてもよい理由 - 遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』マイケル・サンデル
・『神は妄想である ー 宗教との決別』 リチャード・ドーキンス
・『進化は万能である - 人類・テクノロジー・宇宙の未来』マット・リドレー
・『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫
・『世界共和国へ - 資本=ネーション=国家を超えて』 柄谷行人
・『21世紀の貨幣論』 フェリックス・マーティン

[興味を持った本]
・『哲学ってどんなこと? - とっても短い哲学入門』トマス・ネーゲル
・『哲学とは何か』 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ
・『ポスト・ヒューマン誕生』 レイ・カーツワイル
・『物質と意識 - 脳科学・人工知能と心の哲学』 ポール・チャーチランド
・『思考の技術 - 直観ポンプと77の思考術』 ダニエル・デネット
・『啓蒙の弁証法』 テオドール・アドルノ、マックス・ホルムハイマー
・『人間の終わり - バイオテクノロジーはなぜ危険か』フランシス・フクヤマ
・『それでもヒトは人体を改変する - 遺伝子工学の最前線から』 グレゴリー・ストック
・『複製されるヒト』 リー・M・シルバー
・『アナーキー・国家・ユートピア - 国家の正当性とその限界』 ロバート・ノージック
・『脳のなかの倫理 - 脳倫理学序説』 マイケル・ガザニカ
・『デカルトの誤り』 アントニオ・ダマシオ
・『解明される宗教 - 進化論的アプローチ』 ダニエル・デネット
・『文明の衝突』 サミュエル・ハンチントン
・『マルチチュード - <帝国>時代の戦争と民主主義』 アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート
・『貨幣論』岩井克人
・『終焉の時代に生きる』 スラヴォイ・ジジェク
・『隷属への道』フリードリヒ・ハイエク
・『近代世界システム(I・II・III・IV)』イマニュエル。ウォーラーステイン

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『いま世界の哲学者が考えていること』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4478067023

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学批評
感想投稿日 : 2019年1月27日
読了日 : 2019年1月19日
本棚登録日 : 2019年1月17日

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