実力も運のうち 能力主義は正義か?

制作 : 本田由紀 
  • 早川書房 (2021年4月14日発売)
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【はじめに】
『これからの「正義」の話をしよう』が十年ほど前にベストセラーになったハーバードで政治学の教鞭を取るサンデル教授が、グローバル資本主義の「能力主義」が生む弊害について論じた本。2016年のトランプ大統領の誕生やブレグジットの成立の社会的背景をこれまでとは違う視点で指摘しており、『これからの「正義」の話をしよう』や『ハーバード白熱教室』ほどではないが、日本でもそれなりに売れてベストセラーとなっている。
その内容には反対や留保を付けたがる意見も多いと思われるが、少なくとも謙虚に耳を傾けるべきものが多い。

原題は、”The Tyranny of the Meritcracy”だが、『実力も運のうち』という邦題は出色の出来だと思う。「運も実力のうち」という日本語にうまく掛けた上、本の内容・主張を端的に表現しているし、キャッチ―でもある。副題として添えられた『能力主義は正義か?』も原題の意図を汲んで、著者の主張を明確に伝えるという役割も果たしていてよいと思う。これだけ成功していると思える邦題訳も珍しいかと。

以下、少し長くなってしまったが、ざっと見ていきたい。

【概要】
■ ドナルド・トランプの勝利
トランプが2016年の大統領選を事前の想定を覆して制したとき、さらにはそれ以前にトランプが人気を集めて共和党の予備選を勝ち上がったときから、その理由を多くの人、トランプを支持した人も含めて、おそらくは理解していなかった。少なくとも自分は理解できていなかったその理由を本書は明確に示している。それについて、自分を含む多くの人びとは単に気づこうとしていなかったのかもしれないし、何かがそれを気づくことを妨げていたのかもしれない。

その理由とは巷間そう思われている経済的な不平等や貧困ではなかった。本書によれば、少なくともそれだけではないし、それが主な理由ではないという。彼らの不満の主な理由は、不平等であるがゆえに彼らがエリート層や民主党政治家に見下されていると感じたからだという。そこにあるべき「労働の尊厳」が奪われたことによる怒りがその源であった。そう指摘されると、おそらくはそうだったのだろうと納得がいった。
考えてみれば、不平等の拡大を正当化するためにしきりに持ち出された「トリクルダウン」も随分と見下した考え方である。誰もおこぼれに預かりたいわけではないし、少なくともおこぼれで生かされているなどと他人から思われたくないのは当然だろう。

この話を読んでいたとき、少しほろ苦さとともに思い起こした動画がある。当時、さすがオバマは違うといたく感心した動画だ。

”Slow Jam the News with President Obama”
https://www.youtube.com/watch?v=ziwYbVx_-qg

その年の秋に大統領選挙を控えた2016年6月、トランプの勢いがいよいよ無視できなくなっていた中で現職大統領であるオバマが有名なトークショーに登場し、定番コーナー”Slow Jam the News”で、二期に渡って務めた大統領としての成果をバンドの音に乗せて歌い上げている。このとき、オバマも数か月後にヒラリーがトランプに負けるなどとは思っていなかっただろう。気候変動対策、オバマケア、同性婚、キューバ、イラン核合意、TPPなど ―― いずれも歌の中でその名前を挙げることで笑いが起きたトランプによって後にズタボロにされた政策が並ぶ。トランプ支持者は、それがオバマ政権が推し進めた政策だからというだけではないだろうが、喝采を送ってトランプを称えた(ように思われた)。

今見返すと、この動画には民主党やエリート層が持っていた驕りの態度というものが詰まっている。オバマはたくさんの仕事を作ってきた、と胸を張り、”He put us back to ... work, work, work, work, work♪”と歌う。しかし、トランプを支持していた人びとが求めていたのは単なる仕事ではなく棄損されてきた「労働の尊厳」だったことをわかっていなかった。民主党に必要なことは、Netflixのドラマをもじって”Orange Is NOT the New Black”などとオバマがうまいことを言うことではなかった(オレンジはトランプのイメージカラー)。オバマやヒラリーなど民主党員や支持者の態度は既存の支持者をさらに惹きつけることはしたが、彼らに反する人びとからはさらなる反発を招くだけだった。そのアピールは結局は投票行動を変えることなく、その分断をますます深くするだけだった。彼らは、与えた成果を誇るのではなく、謙虚になって感謝を口にするべきだったのに。そして、そのことを誰もわかっていなかったのが大きな問題だったのだ。そういったことが本書では事例を挙げて繰り返し説明される。その原因が原書のタイトルにもなっている「能力主義の専制」であることが説明される。

■ 能力主義の専制 (The Tyranny of the Meritocracy)
主流の政党や政治家を含めて、いわゆる成功を勝ち得た人びとは、自分たちの側にはいない人びとの不満が何であるかに気が付かなかった。経済的不平等があることは認めつつ、それを克服するための機会はこのアメリカでは誰しもに平等に開かれており、その気があれば誰でも同じ立場になることができるのですよ、と言うことでよしとしていた。その能力主義のテーゼである出世と責任のレトリックは、能力主義社会における成功者が必然的に持つことになる観点とマッチし、成功に手が届いていない人に対してではなく、自らに対して非常に心地よい言葉であったために、そのことに疑問を差し挟むことができなかったのだと次のように指摘する。

「「懸命に働き、ルールを守って行動する人びとは、その才能が許すかぎり出世できなければならない」。能力主義エリートはこのスローガンを唱えることにすっかり慣れてしまったので、それが人を鼓舞する力を失いつつあることに気づかなかった。グローバリゼーションの恩恵を分かち合えない人びとの怒りの高まりにも鈍感で、不満の空気を見逃してしまった。ポピュリストによる反発は彼らを驚かせた。能力主義エリートは、自らが提唱する能力主義社会に内在する侮辱に気がつかなかったのだ」

それが、トランプが選挙を制することを許した理由だった。なぜなら、成功者はあまりにもそれが自分にとって当たり前であるがゆえに違う考え方があるということに気が付かなかったからだ、という指摘だ。さらに踏み込んで言えば、それに気付きたくなかったのだ。

「不平等な社会で頂点に立つ人びとは、自分の成功は道徳的に正当なものだと思い込みたがる。能力主義の社会において、これは次のことを意味する。つまり、勝者は自らの才能と努力によって成功を勝ち取ったと信じなければならないということだ」

成功者は能力社会の正当性を心から信じるあまり、反対側から見ると自分たちの主張がどのように見えるのかを考える想像力が欠けていた。想像することの必要性を感じることができず、想像するという発想すら妨げられていたのだ。サンデルの次の指摘はおそらく正しいと思う。自分は納得した。

「底辺から浮かび上がれなかったり、沈まないようもがいている人びとにとって、出世のレトリックは将来を約束するどころか自分たちをあざ笑うものだったのだ。トランプに一票を投じた人たちには、ヒラリー・クリントンの能力主義の呪文がそんなふうに聞こえたのかもしれない。彼らにとって、出世のレトリックは激励というより侮辱だった」

この行き過ぎた能力主義の弊害の指摘がこの本の主題である。サンデルは、この「能力主義(Meritocracy)」という言葉を初めて使ったともいわれているマイケル・ヤングが能力社会をディストピアとして描いた1958年の先見性のある風刺小説「The Rise Of The Meritocracy」の紹介や、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で指摘した神の恩寵の変質、ハイエクとロールズという対極的な主張を持つ思想家の能力主義に対する意外な共通性の分析、などを通して能力主義の課題をしつこくあぶり出していく。

■ 大学受験競争の過熱と「くじ引き」の意義
そのような能力社会において、教育の重要性を強調することは、能力主義の正当性を支える上での肝になっている。貧困家庭の学費無償化や奨学金の強化は、経済的な理由で大学進学をあきらめるようなことがないようにという正しそうに見える理由から、機会の平等性を担保することで逆に成功者自らの現在の状況を平等な競争と努力の結果であると正当化することに貢献している。
実態としては、裕福な家庭の子息は受験競争において大いに優位に立っている。この本によると、アイビーリーグの学生の2/3あまりが所得規模で上位20%の家庭の出身であり、プリンストン大学とイェール大学にいたっては、国全体の上位1%出身の学生の方が、下位60%出身の学生よりも多い状況であるという。つまり、個々人の努力以前にどういう家庭に生まれたかということが、上位校に行くことができるかどうかを大きく左右しているのだ。しかしながら、成功者はその「幸運」を簡単に忘れてしまう。
貧困家庭から出てイェール大学を卒業して成功をつかんだ『ヒルビリー・エレジー』の著者とその物語は、貧困と尊厳の喪失に喘ぐ人びとの希望などではなく、言い訳を封じてしまう忌むべき存在であるのかもしれない。

個人的には、アメリカの受験戦争がいまや日本よりも激しくなっているということに驚いた。「いまや学歴授与機能が肥大化し、教育機能を圧倒しているのだ。選別と競争が、教育と学習を押しのけてしまっている」とのサンデルの指摘は、過去の日本と同じだ(今はずいぶんとマシになっているように感じるが)。昔は、日本の大学は入るのは難しく出るのは易しいので、大学がレジャーランドになるとして批判され、一方でアメリカの大学は入るのは易しいが、出るのは難しいので皆必死で勉強すると持ち上げられていたのだが。韓国や中国でも受験競争は熾烈を極めるとも聞くが、よい大学が出世のための切符だといったん認識されると、その社会や文化の違いに関わらず同じ状況に収斂するものなのかもしれない。大学の学位、特に上位校のそれは、規律に従って受験を通りぬけることができる能力を有している「シグナル」として機能しており、採用する企業側がその人の能力を評価する手軽で効率的な指標のひとつとなっているのだ。長らく維持されていた大企業での終身雇用の神話が崩れて、東大や京大に行っても成功するとは限らないよ、という必ずしも妥当かどうかはわからない認識が広まりつつある日本は逆に受験競争の熾烈さは緩和されているのかもしれない。

本書は、アメリカで起きた大規模で組織的な大学入試の不正問題から始められている。その事件が能力主義がいかに社会に根深く浸み込んでいるかを示しているからである。サンデルはあるべき大学教育と過熱する受験競争について詳しく持論述べるのだが、それは彼が教育を能力主義へ対抗する際に、アプローチすべき重要な標的のひとつであると認識しているからだろう。

サンデルは大学入試について次のことを提案する。
1. SATへの依存を減らす
2. レガシー出願者、スポーツ選手、寄付者の子どもなどの優遇をやめる
3. 一定の基準を満たした層でのくじ引きの採用

なるほど、1.や2.は、SATが共通試験に当たるとすれば、東京大学が堅持していた入学試験方針ではある(どうやら2016年から推薦入試を始めたらしいが)。ただ、よい問題が多いとの評価もある二次試験一発勝負は能力主義と成功者の驕りをさらに高めるようにも思うが。サンデルは、よほど2.の弊害が大きいと感じているのだろう。
3.のくじ引きの採用については、おそらく実際に行おうとすると能力主義や平等の観点から大きな反発が想定される。しかし、自分としてはサンデルの意見におそらく賛成である。また、もう少し踏み込んで考えると、能力主義による選抜は大学入試以外の様々な場面で行われているのであるから、受験以外の場面でも採用されてもよい制度ではないかとも思う。例えば、裁判員が抽選で選ばれるのであるから、議員の選出の過程の一部に抽選を取り入れてもよかろう。議員の多様性の確保にもそれは貢献するだろうし、民主主義的概念を絶対的価値と信ずるなら、それにも適うだろう。
くじ引きという仕組みを取り入れることに違和感と嫌悪感を覚えるとすると、それはもしかしたら能力主義の専制の罠にはまっている証拠なのかもしれない。もし、能力主義が必然的に次のような弊害を生み(そうであるように思われる)、また同時に社会から取り除くことが不可能であるのであれば、その課題を解消するためのくじ引きという「仕組み」の導入はもっと真剣に検討されてもよいように思われる。そこには新たな道徳の起源となるものがあるようにも思われるのである。

「頂点に登り詰める人の場合、不安をかき立て、疲れ切ってしまうほどの完璧主義に導き、脆い自己評価を能力主義的なおごりによってどうにかごまかすよう仕向ける。置き去りにされた人には、自信を失わせ、屈辱さえ感じさせるほどの敗北感を植えつける。
これら二つの専制には、共通の道徳的起源がある ―― われわれは自分の運命に個人として全責任を負うという普遍の能力主義的信念だ」

くじ引きは自分の運命は自分の責任だという信念を壊してくれるだろう。そして、日本ではすでに国立小学校の受験においてくじ引きが制度として採用されていることと(目的は若干違っているが、一部の効果は同じものがあると思われる)、柄谷光人という人がNAMという団体で代表者をくじ引きで決定するという試みを行っていたことをサンデルさんには伝えたい。

■ 共通善 (Common Good)について
本書で、”Common Good”を「共通善」という聞き慣れない言葉に訳しているが、「公益」とした方が分かりやすいのではないだろうか。「共通善」とすることで、何らかのこれまでにはない新しい概念であるかのように誤解させ、理解を妨げてしまったのではないか。サンデルはここでそれほど難しいことを言っているわけでも新しいことを言っているわけでもないように思われる。「公益」というより一般的であろう訳語を当てていれば、もっと最後の提言や理念を語ったパートが理解されやすくなったのではないか。

一方、インターネット上のブリタニカ国際大百科辞典で試しに「共通善」を引いてみると、次のように説明されている。
「共同体の成員によって達成すべく合意された普遍的価値ないしは集合的目標をさすが,しばしば支配の正統性の根拠とされる政治思想史上の概念である。中世キリスト教世界では,カトリック信仰の確立とキリスト教的諸価値に基づく社会の安寧が共通善とみなされ,それに合致するかどうかの解釈権は教会のものであった。近代になると,中世的世界観の解体と自由な個人の出現によって,共通善の解釈に新たな問題が生じる。すなわち,それが政治社会全体の利益なのか社会の成員一人一人の利益の総体なのかという議論である。それは,同意を正統性や政治的服従の根拠とする解釈から共通善をへだてる議論でもある。ルソーによる一般意志と全体意志の区別は有名であるが,それはカントや功利主義者の議論を経て,今日においても政治哲学上の大きな論点である」

これを読むと単に「公益」と訳すのもサンデルが伝えようとする大きな何かを落としてしまうような気がする。訳者も悩んだ点だったのだと理解した上で最後の章は読み進めるべきなのだろう。

「だが、共通善に到達する唯一の手段が、われわれの政治共同体にふさわしい目的と目標をめぐる仲間の市民との熟議だとすれば、民主主義は共同生活の性格と無縁であるはずがない。完璧な平等が必要というわけではない。それでも、多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要だ。なぜなら、それが互いについて折り合いをつけ、差異を受容することを学ぶ方法だからだ。また、共通善を尊重することを知る方法でもある」

上記の指摘を読むと、大学受験の仕組みへの提言とされたくじ引きの多様な社会システムへの導入が、何だか「共通善」の実現の鍵になりうるのではないかとも思える。何となれば、サンデルが主張する「共通善」実現への必要条件とすら思えてくる。神の恩寵がかつていた場所に、代わりにくじ引きの恩寵がその場所を見つけるのである。それは極論なのであろうか。

本書は、次のような成功者への呼びかけで終わっている。

「いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか?その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。「神の恩寵か、出自の偶然か、運命の神秘がなかったら、私もああなっていた」。そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ」

【所感】
すでに言いたいことはここまでに書いてしまっているような気がする。

この本の受け止め方は、読む側が分断線のどちら側にいると考えているのかで大きく違ってくるだろう。サンデル自身は、この本のメッセージを分断線よりも上にいるエリート層に向けて発している。何しろ自身がハーバード大学の教授であり、いつも授業で話しかけているのはエリート層にいるであろうハーバード大学の学生なのだ。このことは、報道ステーションが行ったサンデルへのインタビューの中で明確にコメントしている。
https://www.youtube.com/watch?v=N-HrFRnATTE
(17:55 「そうですね 私のメッセージは 主にエリートや政治家に向けられたものです」 マイケル・サンデル)

ただ、どちらの立場にいようともサンデルがここで指摘する内容は現在のグローバル資本主義社会において非常に重要な指摘だということは言えると思う。

「能力主義の倫理は、勝者のあいだにはおごりを、敗者のあいだには屈辱と怒りを生み出す」ということが必然であるならば、何らかの対応が必要な時期に来ていると思われる。そして、サンデルのその指摘をまず第一に受け止めるべきであるのは、成功を味わっている層なのだ。大学受験競争過熱への対策として提案されたくじ引きの受験に限定しない社会システムへの何らかの導入は試みられてよいのではと思った。それには、本書で論じられた内容や倫理的感覚が広く受け入れらることが必要ではあると思うが。

同じような主張を繰り返す、というサンデルさんのいつもの癖が出ていて長くなってしまうというところはあるが(大事なことなので繰り返し言ってます、ということなのだろう)、多くの気づきを得られた本であった。


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『ヒルビリー・エレジー』(J.D.ヴァンス)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4334039790
『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(マイケル・サンデル)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152091312
『完全な人間を目指さなくてもよい理由-遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-』
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4779504767
『それをお金で買いますか――市場主義の限界』
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/415209284X

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学批評
感想投稿日 : 2021年8月14日
読了日 : 2021年5月14日
本棚登録日 : 2021年5月15日

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