風立ちぬ・美しい村 (岩波文庫 緑 89-1)

著者 :
  • 岩波書店
3.52
  • (12)
  • (19)
  • (38)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 315
感想 : 31
4

1930年頃から発生した新興芸術派でしたが、2年ほどでその活動が見られなくなります。
「新興芸術派十二人」に名を連ねた堀辰雄は、「意識の流れ」、「内的独白」の手法をもって人間の深層心理を描く『新心理主義』を取り入れ、新感覚派から連なる作風をさらに深めます。
本作収録の"美しい村"と"風立ちぬ"はその体現といえる文学で、会話や状況説明、自然主義的な登場人物の行動の露骨な描写とは異なり、主人公の五感で起きたこと・感じたことを書くことで、読者はその世界を知り、心動かされる内容となっています。

本作収録の2篇は文体が非常に徒然としていて、小説でありながら詩を読んでいるかのような印象さえ受けます。
堀辰雄は1930年"聖家族"で高い評価を受けたのですが、同時期に喀血し、療養のため長野県のサナトリウムに入りました。
病臥中にプルーストの"失われた時を求めて"を手にし、その後の療養期間にジェイムズ・ジョイス等ヨーロッパ文学に触れていったことが、氏の作品に影響を受けていきました。
私自身プルーストを不勉強ながらまだ読んでいないのですが、"美しい村"はプルーストの文体を意識して取り入れられていると言われています。

各作品の感想は以下の通りです。

・美しい村 ...
まずははっきり言って読みにくいです。
というのも一文が異様に長く、句点までなかなかたどり着かないんですね。
例えば、"美しい村"は以下の文章から始まります。

"或る小高い丘の頂にあるお天狗様のところまで登ってみようと思って、私は、去年の落葉ですっかり地肌の見えないほど埋まっているやや急な山径をガサガサと音させながら登って行ったが、だんだんその落葉の量が増して行って、私の靴がその中に気味悪いくらい深く入るようになり、腐った葉の湿り気がその靴のなかまで滲み込んで来そうに思えたので、私はよっぽどそのまま引っ返そうかと思った時分になって、雑木林の中からその見棄てられた家が不意に私の目の前に立ち現れたのであった。"

早い話が、「頂上に天狗のモニュメントかなにかある丘を登ったら、知らない家の前に出てしまった」わけなのですが、とにかく文章が冗長でテンポが悪いです。
読んでいる途中で主文がわからなくなり、日本語を読んでいるのに頭に入ってきづらい感じを受けます。
情景を頭に思い描きながら読む必要があり、つらつらと読むとあっという間についていけなくなるので注意が必要です。
川端康成のように表現が難解というわけでもなく、描写は過ぎるほど丁寧なのですが、濃いめの珈琲と共に繙くことをおすすめします。

なお、ストーリーはほとんど無いです。
文章を生業にしている「私」は避暑地のK村に訪れます。
後半そこである少女に出会い、小説のインスピレーションを受けるという内容で、説明してしまえはそれだけです。
ただ、本作は起承転結を追うものではなく、主人公の心象を通した自然描写、作品内の空気の流れ、時間の流れ、あるいは停止を感じる作品だと思いました。
ちなみに本作登場の少女は、同書収録の"風立ちぬ"でヒロインとして登場します。

・風立ちぬ ...
こちらも"美しい村"と同じ感じの文調で、読みにくい部分があるのですが、"美しい村"で慣れたのか、結構すいすい読めました。
堀辰雄の代表作として有名な作品で、氏の私小説と言っていい内容だと思います。

信州長野の美しい高原に囲まれたサナトリウムがメインの舞台で、重い胸の病を患った婚約者「節子」との共同生活を描いた作品です。
5章からなり、出会ったばかりの節子との日々から始まり、結核が重くなりサナトリウムに入院して主人公も側室に止まることになり、病が進行し、そして。
ラストは静かな残心が感じられ、タイトルの元になったヴァレリーの詩「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」に込められた思いが、痛切に感じられました。

"美しい村"は読むのに苦心しましたが、本作を楽しむために是非、"美しい村"から読んでほしいと思いました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文庫
感想投稿日 : 2021年5月8日
読了日 : 2021年5月8日
本棚登録日 : 2021年4月19日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする