壊れる男たち: セクハラはなぜ繰り返されるのか (岩波新書 新赤版 996)

著者 :
  • 岩波書店 (2006年2月21日発売)
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感想 : 43
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私も随分クズオトコと向き合い私なりに戦っているつもりでしたが、余りに苦し過ぎる戦いなのでこの本を半ば救いを求めるように手に取りました。

金子さんは壮絶ですね。身勝手な屁理屈を延々聞かされ、会話や態度から滲み出すセクハラ加害者の悪に苦虫を噛み潰しつつも、冷静に事情を把握して和解なり何なりの解決をしないといけないのですから。

私はああいう相談に来たセクハラの加害者男性の言い訳に対しては軒並み「あぁ、あんたも本物のクズですねぇ」って直言するのを堪えきれないと思います。加害者の気持ちに「男だったらそういうとこ確かにあるわ」という共感をやはり感じる点で、私にもクズオトコの心があり、現実問題クズだと自覚があるからです。だから、はっきり言っちゃう点では相談員には向いてないでしょう。とても著者みたいな仕事は出来ないし、やるのも嫌に思えてくる。その代わり、男性中心主義がしぶとく残る日本で、己の沽券にまだこだわりを持っている男性に、はっきり「人間以下」「クズオトコ」と男性の側から自覚を持って言い渡すことが大事だと私は思うので、筆者には深い共感もそうですが、憧れすら抱いてしまうほどです。

さみしいから、人間は罪を犯すものと思っています。
「結論を先回りしていえば、職場で加害者をパワハラやセクハラに駆り立てるものの正体は、男たちが抱えた危機感と閉塞感である。言い方を換えれば、男たちが置かれた立場の不安定さや、そこから生まれる将来に向けての不安や苛立ちの裏返しである。」(p.210)
は全くその通りです。ただ、閉塞感と言っても分かりにくいと思い、私は「さみしさ」と呼んでいます。男はさみしさを埋めようと砂漠をさすらい、心の安らぎというオアシスを求め続ける生き物だと思います。しかし、心の安らぎ程不安定なものはありません。ステータスである上位の役職と、潤沢な資産、妻がいる家庭……昔はこれらがあれば長いこと安らぎが得られると思っていたし、実際思えたのかもしれません。長い平成不況に度重なる金融危機、それによる大量リストラ、ジェンダー観の変化、そして高い離婚率……いつまでも昔あったオアシスが今もあるわけが無いし、それも薄々分かっているのですが、次のオアシスはさぁどこに?となるともう本当に分からない。見つからないし、探せない。だから、セクハラに走る。周りもセクハラに走る人を見てみぬふりをする。食糧に飢えた集団が少ないパンを分け合うのと似ています。さみしさに対する気休めを暗黙の了解のもと分け合っている。パンがそのことに文句を言うのが飢えた集団には面白くないのは当たり前です。要するに、金と女と仕事で困っている貧乏人はいつでもセクハラの加害者に、「クズオトコ」になり得る。この本で出てきた加害者男性も、背景を見るにやはり、金か女か仕事で困っていて、満たされなくて飢えている。

おそらく、セクハラという考えに反発を持つ男性の多くは、「それじゃあ、大人の恋はどこですればいいんだ!? 会社の女性に手を出そうものならセクハラになるとすれば、 ただでさえ自分の貴重な人生の大半を会社で奪われるっていうのにどこに出会いと希望がある?」と思っているに違いないと思います。実際にそうして婚期を逃す人も男女問わず日本には多い気がします。そういう人達には、「働き過ぎ。仕事にうつつを抜かしてボヤボヤしているからだ」と言いたいところですが、もっと根本的な話として、「だったら仕事とプライベートのメリハリくらいつけろ」と言いたい。会社勤めを一回でもすると分かりますが、日本の職場は余りに仕事とプライベートの区別がなさすぎる。定時終わって飲みに行くのも、「仕事付き合い」のだらしない延長でしかない。同僚同士の飲みならそういうことは少ないかもしれない。しかし、上司が場にいるとなると仕事かプライベートかの判断は上司が決めます。そういうところにまで権力を振るってくる。セクハラ・パワハラが無くならないわけです。男らしさの崩壊を踏まえて、筆者は最後にジェンダーフリーを強く推していますが、そんな小手先の考えじゃ何も変わらないしどうでもいい、日本の労働環境を改善するほうが先だ、と私は思っています。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新書
感想投稿日 : 2015年1月19日
読了日 : 2015年1月19日
本棚登録日 : 2015年1月19日

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