映画とは何か(上) (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2015年2月18日発売)
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感想 : 14
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(01)
1950年前後,特にヌーベルバーグ前夜ともいえる50年代の論評群を中心に構成されている.
『コンチキ』などの探検映画,ジャック・タチ,アルベール・ラモリス,ロベール・ブレッソン,演劇の題材を翻案した映画,マルセル・パニョル,オーソン・ウェルズ,ロジェ・レーナルト,ゴッホやピカソを扱った絵画映画,(超)西部劇のジョン・フォードからバッド・ベティカー,ロッセリーニやデ・シーカ(*02)そしてフェリーニーのイタリアのネオリアリズモといった具合に当時の新作を論じ,グリフィスの1910年代,エイゼンシュタインの20年代の過去の手法等の点検を行っている.
隣接する芸術の分野として,小説,演劇,写真,絵画との関係を探り,新興芸術でもあった映画とその可能性を擁護している.映画分野については,サイレントとトーキー,俳優と非俳優,ドキュメンタリーとドラマ,象徴と現実,背景と運動,フレーム内とフレーム外,歴史と現在,モンタージュとパンといった対立項や共犯的な方法を巧みに扱いながら,「映画とは何か」についての,さしあたっての回答をさまざまに示してもいる.
政治や社会,歴史へと溢れようとする映画の外延(外縁)における現象もとらえており,観客とカメラの関係にとどまらず,検閲という制度や夢という無意識にも言及し,映画という現象が人類の知のあり方に変容を迫っている事態をも告げている.

(02)
デ・シーカについては,『自転車泥棒』,『ミラノの奇蹟』,『ウンベルト・D』といったネオリアリズモの仕事について好意的に触れ,デ・シーカが振る舞った愛情と詩についての見解が注目される.また,エロティシズムについての一文も,公開されていた処刑の歴史にも触れながら,映画にある欲望の手触りについての表現を試みており,興味深い.また,背景的に配された自然がどのように演技と演出に参加してくるのかについても考察しており,映画が,俳優と俳優,俳優と作家,俳優と観客の関係を結ぶものでありつつ,その運動は,自然と社会を結びつけていたことも知る.
当時のサルトルの思想の影響を読むことも可能であるが,ベルグソンについての言及もある.映画においては特に,持続という問題系が今後も製作と批評の鍵になるだろう.

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: aesthetics
感想投稿日 : 2020年2月1日
読了日 : 2020年1月23日
本棚登録日 : 2019年12月7日

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