同シリーズ・パート1から続けて読んだ。パート2では、パート1で比較的若い頃のマルクスを扱ったのに対し、年代的にその後の作品を論じている。
マルクスという人は初期の頃は、経済学者というよりも哲学者の顔を持った人だったようだ。パート2では、経済学者寄りのマルクスが登場する。経済学者のマルクスを理解するには、どこか数学的な論理思考が必要とされるようで、その経済学は、いわゆる「とっつきにくい」マルクスのイメージに符合する。ぼくはよく分からなかった。
自分がマルクスを読もうと思ったのは、柄谷行人がマルクスの用語を必ずしも政治的な用語としてではなく、知的なパズルのピースとして使っていたのを見た影響だ。そして、現代思想とか哲学に深入りするのであれば、マルクスは読んだことが無いと、追えない議論の領域が大量に残るのではないかと思った。さらに言えば、20世紀の政治史を理解するためにも、やはり避けがたいはずだ。
そして、マルクスに関連した本をこうして読んでみると、今度はどうもヘーゲルというのが、マルクスの思想のサナギの役割を果たしているらしい、というのが分かってきた。ヘーゲルの歴史哲学では資本主義社会が「進歩すべき」歴史の最終ステージだが、マルクスの史的唯物論では、資本主義社会は「進歩すべき」歴史の最終ステージではなく、社会主義にさらに脱皮を遂げるためへの通過点に過ぎないらしい。
そのような差異はヘーゲルが観念を歴史の土台としている一方で、マルクスは物質こそがその土台にあたると言っている辺りに起因しているようだが、この辺はよく理解できない。どうもドイツ観念論というのは、その辺の用語らしい、というのはなんとなく分かった。
この本に刺激されて、マルクスの『ドイツイデオロギー』とヘーゲルの『歴史哲学講義』を読んでみたくなった。マルクスを読むと、どうもその辺りから近現代の思想史への扉がいくつも開いているようだ。
- 感想投稿日 : 2017年9月3日
- 読了日 : 2017年9月3日
- 本棚登録日 : 2017年9月3日
みんなの感想をみる