絶望という抵抗

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  • 金曜日 (2014年12月8日発売)
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感想 : 4
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20年近く追いかけている辺見庸さん。
新刊が出れば必ず買うようにしています。
本書は佐高信さんとの対談本。
佐高さんは昔から苦手で躊躇しましたが、現下の政治状況を辺見さんはどう見ているのだろうかと気になって買いました。
辺見さんは少なくとも10年以上も前から、ファシズムの到来を予見していた数少ない作家のひとりでした。
私は毎度夢中で読み耽りながら、それでもなお辺見さんの見立てには全幅の信頼を置けませんでした。
フィクションや仮構と見なしていた時期もあります。
ただ、それは誤りだったかもしれません。
本書を読んで、そう感じました。
ファシズムはひとりのファシストが実践し、構築する政治体制のことではありません。
むしろ民衆の情動と結託して生まれるところに、その本質があります。
それを辺見さんから学びました。
私は安倍首相が「根生いのファシスト」とは思いませんが、国民の間に蔓延する空気にファシズムの匂いを嗅ぎ取ります。
これは最近の出来事です。
先日の衆院選後、安倍首相にインタビューしたニュースキャスターが激しく切り込む場面があったそうです。
私のFBのタイムラインには「マスゴミごときが首相に偉そうな口をきくな」といった批判の投稿が流れてきました。
この種の言説はいまでは別段珍しくないのでスルーしそうになりましたが、よく考えれば一昔前なら想像もできなかった反応です。
なんとなれば、権力監視、ウォッチドッグこそがマスコミの本義、本務というのは常識だったからです(いまでもそう信じていますが)。
これは善し悪しの問題ではありません、そういうものなのです。
ニュースキャスターが首相へのツッコミ不足を謗られることはあっても、「首相への批判はけしからん」などと非難される道理はありません。
批判の主の投稿は、たとえば医者に向かって「医者ごときがなんで病気を治療すんだよ」と言いがかりをつけているのと同じようなものです。
ただ、そのマスコミも明らかに変質してきたようです。
本書で辺見さんはこう慨嘆しています。
「かつて新聞は、弱いものへ味方することが我々の美徳なのだと、堂々と言ったものです。ところがいま、いたいけなるものへの支持がすり減っている」
辺見さんはかつて共同通信の特派員として中国で取材し、中国共産党の機密文書をスクープして当局から国外追放処分を受けました。
ですから、辺見さんの中国にからむ発言にはいつも注目してきました。
中国といえば反射的に蔑視するのが当世風ですが、そんな薄っぺらなものではありません。
「もちろんぼくにも中国への政権批判はあるし、反対せざるをえない。しかしながら私の中国体験から言うと、あの国は一週間で戦争の準備ができます。自分でスクープしておきながら、あの国が本当にベトナムに兵隊を送り込んだとき、ぼくの常識は木っ端微塵に吹き飛びました」
こんな見方を提示してくれる識者がいま、どれだけいるでしょう。
考える機会を与えてくれる良書です。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2014年12月19日
読了日 : 2014年12月19日
本棚登録日 : 2014年12月19日

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