知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2010年4月16日発売)
4.09
  • (173)
  • (206)
  • (90)
  • (14)
  • (4)
本棚登録 : 2026
感想 : 165
3

【感想】

本書は、「とあるフォーラムに集まった多種多様な人々が、思い思いにポジショントークをする」という舞台設定の中で、古今東西の哲学的論考を柔らかく解き明かしていく。テーマはタイトルにある通り「不可測性・不確実性・不可知性」だ。
タイトルだけを読むと難解な本という印象を受けるが、開いてみると真逆のコメディタッチ。小気味よくお話が進行していくため、その面白さから一気に読み終えてしまった。

「哲学ディベート」は扱っているテーマの複雑さから、えてして議論が難解になりがちであるが、この本は全く違う。
女子学生、会社員、哲学者、科学者から運動選手まで、様々なキャラクターたちが好き勝手に議論を脱線させ、ポジショントークを飛ばす。哲学ディベートというよりも厄介オタク達の推し語りだ。
オタク達の「ところで、違う話だが…」という豆知識と、司会者の「そのお話は、また別の機会にお願いします」との掛け合いが、ストーリーに緩急を与えてくれる。深みにハマり始める哲学議論を、これ以上過熱しないようにリセットしてくれる。

こうした、説明すべきところと簡略化すべきところのさじ加減が非常に上手いのが、本書の味の良さを生んでいる。自明の部分であっても説明を省かず、かといって解説しすぎでも無い。「哲学を知らなくてもなんとなくわかる」をキープするバランス感覚の良さ、これが哲学本とは思えないほどのテンポの良さに繋がっているのだろう。

哲学って難しいという感覚をお持ちの方に、是非おすすめしたい一冊だ。


【本書のまとめ】

1 思考の限界
ウィトゲンシュタインの論理実証主義:
「過去の哲学的問題は言語から生じる問題にすぎない。道徳に関わる問題は、使用する言語(とその言葉の定義)が不明瞭なために生じる問題であって、いくら話し合っても無意味」
「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」
=明らかに語りうることは、日本の首都や数学の公式やら、真か偽かを「論理的」に決定できること、あるいは事実か否かを「経験的」に実証できる言語に限られ、それ以外の言語使用(例:神とはなにか?)は無意味である。

これを拡張していけば、哲学は消え去り、自然科学だけが残る。

これに対する反論:ゲーデルの不完全性定理
第1不完全性原理
「矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する」
第2不完全性原理
「理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことをその理論体系の中で証明できない」

つまり、この世界にそもそも「矛盾の無い論理体系」というものは存在しないということ。

反論その2:
真か偽かを決定する「有意味性判定基準」が曖昧である。論理実証主義を幅広く活用しようとすればするほど、あまりに多くの日常的概念を無意味としなければならない。


2 言語の限界
思考は言語に依存し、言語は生まれ育った文化圏に依存する。現実世界は、「集団の言語習慣に基づいて無意識のうちに築き上げられたもの」である。
虹の色数が国によって違うように、その言語は、言語外世界の特定の対象に「完全に」対応しているとは確定できない。言い換えれば、言語を超えては「完全に」語り合えない。これは、目の前の赤色が人によって違う色に見える可能性があるように、物体を認識する同言語話者の間でも起こりうる。いかなる指示対象や翻訳にしても、認識が完全に一致するとは限らないのだ。


3 予測の限界
これまでもそうだったから、明日も「日はまた昇る」に違いないという推論が帰納法。未来の予測には帰納法が多く取り入れられてきたが、これまでも当てはまったからといって、これからも当てはまるという保証はない。帰納法を使った推論を前提に置く思想を「歴史法則主義」という。
ポパーは、1945年に発表した『開かれた社会とその敵』において、さまざま思想家たちが「歴史法則主義」を前提としていることを提示し、徹底的に批判した。

未来を予測する際のターゲットとなる「確率」には2種類がある。
危険性…保険商品など、過去の統計・確率から推定できる変動確率
不確実性…株式市場・経済など、予測できない変動確率

複雑系には「不確実性」が多いため、ある特定の原因を与えたとき、それがどのような結果を導くかはまったく予測不可能である。
しかしながら、予測不可能な運動が内部に発生するため、系全体の動きを予測できないものの、「複雑系そのもの」には統計的法則が成立している。


4 人間原理 
宇宙の誕生から地球が生まれ、生命が発展し、人間が誕生したのは奇跡に近い確率である。
私達の宇宙は、さまざまな物理定数によって左右されている。とくにリースの指摘する6つの物理定数(電磁気力や重力など)の数値が少しでも異なっていたら、今のような宇宙は存在せず、人間も生命も存在しなかったのだ。
しかし、この奇跡は全くの偶然なのか、それとも必然なのだろうか?

「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」
こうした宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方を「人間原理」という。

ホイルが提唱した人間原理:
まず自分が存在するからこそトリプルアルファ反応(3個のヘリウム4の原子核が結合して炭素12の原子核に変換される核融合反応の1つ)について思考できるのであって、そのような認識主体としての人間が進化するためには、宇宙に豊富な炭素が存在しなければならず、そのためにはベリリウムの共鳴が起きなければならない、と「逆算して」考えた。従来の自然科学のように宇宙の誕生→人間とミクロ化していく発想とは異なる考え方で、宇宙にどんな元素が含まれているかを推論した。

1969年に、ブランドン・カーターは「弱い人間原理」と「強い人間原理」を提唱する。
前者は、物理定数の微調整を偶然と捉え、後者は必然と捉える。後者の立場で、宇宙そのものが観測者を生み出すように「自己組織化」しているのではないかと考えている宇宙物理学者も増えている。


5 不可知性
ファイヤアーベントは、科学を進歩させるためには、観察とはまったく無関係の「形而上学」が必要であると述べ、論理や実証といった「理性」の枠に拘りすぎるなと言った。

本書の中に出て来る方法論的虚無主義者はこう言う。
「我々の生きている宇宙は、言語や科学法則だけでは捉えきれない複雑性と多様性に満ちた実態だ。それなのに、多くの科学者や哲学者は、ちょうど論理実証主義者が「論理的」あるいは「実証的」でなければ「無意味」というスローガンで真の問題を切り捨ててきたのと同じ間違いを、今も犯し続けている。ファイヤアーベントの最後の哲学的著作のタイトルは、『理性よ、さらば』だ。理性は素晴らしいものだが、人間を硬直させて自由を奪う魔力も持っている。彼は、そのことを警告し続けた。」

「科学の進歩によってすべてが解明されていく」のが、第一線の科学者の姿勢なのかもしれない。しかし、自然科学や人文科学や社会科学の専門化された枠組みでは捉えきらない部分にこそ、それらが絡み合った驚異的に興味深く奥深い問題がそびえていることも事実である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年2月27日
読了日 : 2021年2月23日
本棚登録日 : 2021年2月23日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする