池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書 814)

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  • 文藝春秋 (2011年7月20日発売)
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中国にはローマ法王公認のキリスト教(カトリック)と、中国共産党公認のキリスト教の2つがある
カトリックは、一番偉い人がローマ法王とされているため、共産党第一主義に反する→弾圧の対象、バチカンと中国は国交を結んでいない

アメリカも同様に、カトリック信仰の大統領は注意を払われる
キリスト教原理主義者…聖書に書かれていることがすべて真実と信じる人
聖書を進行する人…福音派(共和党支持者…妊娠中絶と同性婚に否定的)

中東では、軍事独裁政権から民主主義による選挙を実施した結果、イスラム原理主義(反米、反イスラエル)が政治を握ることが発生している

仏教は、語らない宗教、創造神はいないし、実践主義的。生きることを苦(思い通りにできないこと)とし、思いを整え、執着を小さくすることを説く。
そして、そのために役立ちさえすれば、究極的には仏教さえも捨てていけとしている

仏教は、ヒンドゥー文化の中で育った釈迦(仏陀)が作り上げた。輪廻をせずに解脱するなど、いくつか思想を共有している

生・老・病・死…この四苦の源には欲望があり、欲望を減らしてコントロールすることが悟りに繋がる

一神教は、この世の終わりが来た後、神が一人ひとり生前の行いを審判し、天国行き地獄行きを決める
仏教は、輪廻の外にある仏の国(極楽浄土)への解脱を目指す
一部の優秀な人間には、解脱せずに、この世に戻り、人々を救済する役目を負う。これを「菩薩」という。

上座仏教…悟りを開くため出家し、他人との関わりを断つ
大乗仏教…在家のまま、社会や他者と関わりながら苦悩の中生きていく→とらわれないことを理想とする

イエスはユダヤ教徒
旧約聖書→ユダヤ教の聖典
仔羊を犠牲にして罪が許され、新年が始まる
新約聖書→イエス(キリスト教)の聖典
イエスを犠牲にして罪が許され、新しい世界の歴史が始まる

ローマ帝国が2つに別れ、カトリック(西ローマ帝国)と東方正教会(東ローマ帝国)に分裂
その後、カトリック教会の腐敗に立ち向かう形でプロテスタント教会が樹立

神道…お祭りと神社を主とする、稲作と結びついた生活様式(天皇、日本書紀や古事記)
産土型神社…共同体の安寧を願う
勧請型神社…個人の幸福を願う
個人の救済よりも、共同体の安寧が優先される
神様は祖先の霊と自然
そのため、人はみな死んだら家の神になる

イスラム教…キリスト教とユダヤ教があったメッカで、ムハンマドがよみだし、その後迫害されメディナに聖遷。ムハンマドが死んだあとに信者が書き留めた言葉が「コーラン」

イスラム教徒の見解…イエスやモーセは神の預言者に過ぎず、預言を正しく伝えなければならないのに、キリスト教徒やユダヤ教徒がきちんと伝えなかった。
ムハンマドにコーランを伝え、そのまま保存しろと言った。
→ムハンマドは預言者に過ぎず、崇拝の対象ではない。
「ハディース」→コーランの参考書、ムハンマドの行動が書いてある

スンニ派…話し合いで最高指導者(カリフ)を決めた
シーア派…ムハンマドのいとこのアリーが後継者だ
2つの派閥は教義のちがいはほぼないが、国の政治への利用のされ方で対立を生んでいる
自爆テロをジハード(死んだら終末を待たずに天国へ直行できる)と考える若い層の増加

死を考えるということは、結局どう生きるか、ということ。死に方と生き方は同じ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2020年5月25日
読了日 : 2019年11月27日
本棚登録日 : 2019年11月27日

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