欲望の資本主義

  • 東洋経済新報社 (2017年3月24日発売)
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【スティグリッツ】
少なくとも世界中の人々を最低限の生活ができるレベルに引き上げるまでは、経済の成長は必要。それを成し遂げた後には、どのような社会を目指すべきか国内的、国際的な議論がいる。

長期的な投資ニーズと大きな貯蓄があるのに、金融市場は目先のことに躍起になって機能不全に陥っている。問題は、市場経済そのものではなく、市場経済の設計を誤ったこと。富の公平な分配を目指すルールに変える。

世界的な傾向として、金利がマイナスになっても投資が行われないのは、総需要が無いから。金利は人の行動を促す一因にはなるが、要因は他にもある。異なる2点間の価格が、人の行動に対して影響を与えないことが分かってきた。
正しい経済政策をとれば、金利は5%の水準に戻るはず。

イノベーションによる生産性の上昇は生まれない。また、イノベーションが既存のセクターから利益を「奪う」という観点にも着目する必要がある。
新しいプラットフォームの中には、労働者の組織力を弱体化させているものがある。長期のスパンで見ると賃金が下がり続ける可能性が危惧される。

【セドラチェク】
「経済は成長し続けなければならない」という思い込みを疑うべき。経済は当然ながら失速したり停滞したりするのに、私達の社会モデルや年金モデルは、経済成長を前提にしている。

民主資本主義の本質的な意義は「自由」。

成長には良い成長と悪い成長がある。
良い成長というのは、何かの発明等により経済が自然と上向きになること。悪い成長は、ゼロ金利政策のように、借金を生み出しながら無理に成長を促すこと。
大切なのは、成長しすぎているときはそれを抑制し、余ったエネルギーを不況に備えて備えておくこと。また、成長が止まり、生活水準は定常状態になっても、「それでいい」と受容すること。

私達の文明は「成長」を買うために「安定」を売ってしまった。そして問題なのは、それが何とかなってしまったせいで、借金→投資というドラッグ漬けになってしまったこと。

財政赤字がGDPの3%で、GDP成長率が1%であれば、1%の成長を3%の借金で買ったのと同じ。それは意味がない。

進歩することは悪いことではないが、GDPの平均成長率がゼロまたは低い率でも揺るがない経済を作るのが望ましい。成長よりも債務を減らすことを第一に。

インターネット空間の登場により、モノではない抽象的な豊かさが生まれてきている。



まとめ
①世界では総需要の減少が起こっているため、金融政策が効果的に作用しない
リーマン・ショック後の経済の落ち込みを解消するべく、各国で大胆な金融政策が取られている。ゼロ金利政策を超えたマイナス金利政策である。それは金融機関の中央銀行への預入金に利息を取ることで、金融機関が企業への貸し出しや投資に資金を回すように促し、経済活性化とデフレ脱却を目指すものである。
また、経済の下支えのため、政府は莫大な国債発行による財政政策を進めている。
しかし、想定以上にインフレ率は向上せず、景気も上向いて来ていないのが現状だ。
この理由は、世界的に総需要が減少しているからである。マネーフローをいくら増加させても、対になる需要の増加が無ければ、消費が向上しない。無理に生産を増大させようとすれば、デフレ圧力を高めるだけである。

②成長主義は限界に来ている
となると問題は、「なぜ世界で総需要の減少が起こっているのか?」である。
これには様々な見方があるが、本書の中でセドラチェクは、「成長が天井に到達したから」であると述べている。
現在の資本主義は「成長資本主義」の前提に立っており、成長し続けなければ自壊する社会システムである。その結果、借金をしてまで財政出動をする政府や、「もっと消費を」を求め苛烈な労働競争を行う企業群が存在するようになってしまった。
しかし当然、「もっと頑張れ」「もっと成長しろ」と鞭打っても、身体には限界がある。成熟しきった国家において「もう1%」はオーバーワークに近い。
この虐使を正当化し成長を実現するため、政府や金融機関で負債の積み増しが起こった。金が増えることが成長を生む、その当然の成り行きに逆行する形で、成長を金で買う行為が起こったのだ。
そのような「借金の増加による成長の歪み」はバブルの崩壊として現れる。現に、リーマン・ショック前には金融セクターの高成長と返済不可能なレベルの負債の増大が見られた。
こうした不健康な成長を防ぐためにも、各国政府は成長よりも債務を減らすことを第一とし、GDPが増加せずとも揺るがない社会を作るべきである。
とはいっても、むろん発展途上国において経済成長は必要である。恵まれない生活を送っている人も多く、生活環境の向上の余地があるためだ。
しかし、先進国は既に「生存に足る」以上の物質で溢れている。これからは不健全な「成長」を目指さずに「安定」を続けることを目指すべきなのだ。


感想
本書を読んで、セドラチェクが持つ「経済成長」の認識の鋭さに思わずハッとさせられた。「銀行から100万円を借りて、100万円分金持ちになったと喜ぶ奴は大バカ者だ。しかし政府は財政政策という形でそれを行っている」と彼は述べている。まさに言い得て妙である。
何故現代の社会では、借金をしてまで成長を続けることを「良し」とするイデオロギーがあるのだろうか?成長した先に何があり、稼いだお金を何に使えば精神が休まるのだろうか?
セドラチェクはまずこうした「哲学」から出発する。人々の活動の根底にある「なんのために」をあぶり出し、社会や経済よりも優越するものは何かを確認する。
当然、優越するものは「人間の幸福」であるが、資本主義というものは人間の幸福を欲望とすり替えることで機能するよう出来ており、かつ欲望を膨らませ続けることでしか自走し続けられない脆弱なシステムであるのだ。
これは大変危険なシステムである。なぜなら、現在の社会が全て欲望に着き動かされているならば、何かのきっかけで全人類が欲望と妄想を辞めれば、資本主義が一夜にして崩壊することも有りうるからだ。その片鱗を見せたのがリーマン・ショックであった。
こうした不安定な世界に対してセドラチェクは、「いったん落ち着こう」「成長よりも安定を」と主張している。それは加熱する空想から一度目を覚まし、現実に有りうるスケールで社会全体を把握せよということだ。肥大する金融資本主義を自らの手で扱えていない人類への警鐘であり、いずれ起こるバブルの再崩壊に備えて逃げ道を作ることを提案しているのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年10月20日
読了日 : 2020年10月20日
本棚登録日 : 2020年10月20日

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