いつもの堀江さんのテーストに引き込まれ、見知らぬ仏文学の世界も知ってるような気に。今回面白かったのは、もちろん「オパラバン」にある、悲しいかな欧州で我々アジア的同胞が皆味わうであろう逸話であり、海胆先生であり、自称詩人であり、黄色い部屋でもあるのだが、一番は「のぼりとのスナフキン」の一節である。「・・・だが帰るべき場所があるかぎり、漂泊は甘えにすぎない・・・漂泊の真似事を許した身に、スナフキンの孤独を理解できるはずもないのである」ということで、パリ郊外を漂っている堀江さん自身が帰るべき場所を必要としている、スナフキンになれないことを自覚しているところに、どの本にも共通している地に足の着かなさ、のワケがあり、堀江さんに共感する理由があるのかもしれないと思った。旅行記だの滞在記だのを読んでも、自分が漂流者だと気づいていない人の文章は軽薄で何も惹かれないし、「冒険家」の椎名さんだって、もしかしたら岳物語などを通じて、家という確固としたベースがあることを知っているから好きなのかもしれない。スナフキンの自由は、孤独、あるいはそれに伴う痛み、に裏打ちされたものであり、それが覚悟できない者には選べない道であり、でもそんな彼にも年に数ヶ月?のムーミン谷という心のよりどころがあるであろうことは、ちょっとほっとする要素でもある。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
エッセー(和)
- 感想投稿日 : 2009年5月6日
- 読了日 : 2011年12月10日
- 本棚登録日 : 2009年5月6日
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