新装版 世に棲む日日 (4) (文春文庫) (文春文庫 し 1-108)

著者 :
  • 文藝春秋 (2003年4月10日発売)
4.07
  • (383)
  • (332)
  • (283)
  • (13)
  • (2)
本棚登録 : 2814
感想 : 227
3

温和でごく自然な人情のゆきとどいたこの家の家風は、晋作の祖父のころからすでにそうであった。こういう家庭から、なぜ晋作のような、武士ぐるいの好きな一人息子がうまれたのであろう。
「松本村の寅次郎が、こうしたのだ」と、小忠太は梁のきしむような砲声のなかで言ったことがある。松陰のことである。いま諸隊を扇動してさわぎまわっている連中は、みな寅次郎の門人ばかりであった。
 が、お雅はそうは思わない。教育というものがそれほど力のあるものであろうか。夫の晋作を見ていると、高杉家の、いかにも良吏の家といったおだやかな家風から、あのような武士ぐるいの好きな男が出てくるというのは、なんともつじつまがあわない。晋作は、教育の力というものがいかにむなしいものかという標本のようなものではあるまいか。晋作は明倫館の秀才でありながら、しかも良家の子でありながら、十代の終わりごろ、祖父母や両親の目をかすめて、松本村の吉田寅次郎の私塾に通っていたという。そのために晋作が寅次郎の力で変形されたというのはまちがいで、本来、寅次郎と同質の人間だったのだとお雅はなんとなく気づきはじめている。同質であればこそ、晋作は寅次郎の感化を受けたのであろう。感化をうけてから、同質の部分がいよいよ砥がれて鋭利になったのであろう。

新生内閣が、成立している。その首相格の座に、山田宇右衛門という老人が就任した。宇右衛門は吉田松陰の幼少のころの師匠であり、松陰も、
「自分は終生この人の学問、見識を越えることはできない」と、兄の民治に書き送っているほどの人物で、晋作もこの人事に大いに満足していた。本来なら革命軍の首領である晋作が政府首班になるべきだったが、かれは避けた。
 藩では、晋作を諸隊をすべて統括する陸軍大臣格にしようとしたが、晋作はそれに対し、一笑で報いただけであった。
 かれはこの時期、その後ながく長州人のあいだに伝えられた名言を吐いている。
「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない」と、いう。その具体的な説明について晋作は一切沈黙しているが、かれは革命の勝利軍である諸隊の兵士の暴状を暗に指しているらしい。かれらは上士軍との決戦のとき、あれほど義に燃え、痛々しいばかりの真摯さで連戦奮闘してきたのだが、ひとたび革命が成功するや、ただの無頼漢になったような面がある。

 二流、三流の人間にとって、思想を信奉するほど、生きやすい道はない。本来手段たるべきものが思想に化り、いったん胎内で思想ができあがればそれが骨髄のなかまで滲み入ってその思想以外の目でものを見ることもできなくなる。そのような、いわば人間のもつ機微は、井上も伊藤も、ここ数年、生死の綱を渡ってきて知りすぎるほど知った。彼等は、こわい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2016年1月10日
読了日 : 2015年10月28日
本棚登録日 : 2015年7月17日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする